2010年12月25日土曜日

55歳の受験生:PART3


試験に合格するのはやはりうれしいものだ。
それなりの勉強はしたし、半分あきらめてもいたので、ほっとする。
受験勉強は精神衛生上よくない。

が、喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間。

性懲りもなく、次に「日本統合医療学会認定医」を目指すことにした。
またまたお受験である。
これに合格したら、晴れて西洋医学も統合医療も学んだホリスティックなDrと言えると思っている。


受験には単位取得が必要だ。
そのためには、セミナーを受講するのと学会に参加する事が必要。
7月のセミナーを、犬の看病でドタキャンしてしまったのだが、10月末に東京でセミナーがある。
値段も高いし、2日連続はしんどいのだが行かざるを得ない。

さらに12月に徳島である統合医療学会に出席すれば、単位が足りて、そこで開催される試験に間に合う。

今回はテキスト5冊分。
あらゆる分野の知識が必要だが、ホリ協で20年近く勉強してきたので、「なんとかなるわい」と、またまた土日をつぶして徳島へ。
写真は徳島大学の学会場。

「さっぱりわからん」のもあったけど、「がん専門医」よりはましで、予定終了時刻より早めに退出し、すぐさま京都へ。

忘年会に間に合わせるため、明石から京都まで新幹線に乗るという裏ワザを使う。
事故で新幹線の遅れがひどかったが、逆に1時間前の電車に乗れて、かえって京都に早く着いた。

これだけツキがあれば、試験は大丈夫だ。
と勝手に思い込んでいる。
(おわり)

愛場庸雅

2010年12月10日金曜日

55歳の受験生:PART2


神に見放された時は仕方がない。
自らの努力で運を切り開くしかないのだが・・

普段はしない勉強と犬を亡くした悲しみからか、
無理がたたって数日前に風邪をひく。
まずい。 喉が痛い。
前日は37.6度の微熱。
大阪で学会に出た後、午後の新幹線で東京へ。
ここまできたら、行くしかない。


今回の受験生は全国から約120名ぐらいいたみたいだ。
第1回の試験なので、合格率やボーダーライン、試験問題の難易度など全く不明。
だからこそ「怖いもの知らず」で受験できるのだが・・

資格試験だから、一定の正解率さえ出せば通る。
とはいえ、100%合格などという茶番はありえない。逆に言えば、何人かは必ず落ちる。

まわりは、大学の教授やら、がんセンターなどの中堅医師。
私よりもはるかに専門家で、がん関係の学会にしょっちゅう出ていて、最新の知識に詳しい人たちばかりだ。
少なくともそう見えてしまう。
彼らにはとてもかなわない。


試験は、思った以上に難しい。
ひっかけみたいなのもある。
一問を2分で解かないといけないので、時間との勝負だ。
症例の問題など、問題文を読んだり、写真の所見を読み取るだけでも時間がかかってしまう。

ちらちら時計を見ながら、あせる・・
とりあえず、ひととおり回答したらもう終了3分前。
わからないのでペンディングにしてたところは、考え直す余裕もなく終了。
クタクタになって、帰りの新幹線は放心状態。


後で調べてみると、「あれも違う」「ここも違う」がいっぱい出てくる。
かなりまずい。

来年もあるし、・・
まだあと9回受けられるし・・
と思うが、こんなお受験は二度とごめんだ・・


さて結果は・・

10月20日過ぎに、「頭頸部がん専門医認定証」が送られてきた。
が、話はこれで終わりではない。
(続く)
愛場庸雅

2010年12月9日木曜日

抗うつ剤は本当に効くのか?

世界中で最も患者数の多い病気がうつ病と言われている。
その治療薬が抗うつ剤であることは誰でも知っている。
抗うつ剤の売り上げ伸び率は年々急増している。
1999年が150億円だったのが2006年には870億円であるから
7年間で約6倍の伸びで、今もその傾向は変わらない。

もちろん抗うつ剤も立派な商品であり、売れなければ商売にならない。
当然製薬会社も売り込みに一生懸命だ。
うつが「心のカゼ」と言われ、ごく一般的な病気に思われるようになったのも、
ちょっと不眠があれば、それはうつの始まりだ考えられるようになったのも、
できるだけうつの患者を増やすための宣伝効果に寄るところが大きい。
その成果もあってか、うつの患者は年々増加し、すでに100万人を越えた。

一方で、新しい抗うつ剤が開発される度に患者の数も増えると言われている。
それは医者がうつを意識するようになり、
その視点から患者を診るようになるからだ。
医者もうつ病を意識すればするほど、みんなうつに見えてしまうものだ。
今まではちょっと気分が落ち込んでいるだけの普通の人だったのが、
見方によっては立派なうつ病の患者に見えてしまうわけだ。

患者は自分自身をうつ病だと思い、
医者はどんどんうつ病患者を作り出している。
本当のうつ病患者が増えているというよりも
そんな事情で、うつ病患者が激増しているとも言われている。
製薬会社の戦略はまさに大成功を収めたと言えよう。

さて、ここまでは前置きだ。実はこれからが本番の話だ。
ここまで広く世界中に普及してきた抗うつ剤だが、
実は、抗うつ剤の有効性は医学的には証明されていないのである。
つまり、プラシーボと比較して差がないということだ。

プラシーボとは、乳糖やデンプンの粉のように
全く薬理学的有効成分のない薬?のことだ。
頭痛の患者さんに、頭痛薬ですよと言って、プラシーボを処方しても
半分程度の患者さんは頭痛が軽減することが分かっている。
これがプラシーボ反応(効果)だ。
この事実を利用して、新薬が本当に有効か否かを調べるわけだ。

ある薬を開発する場合、必ず病院の協力を得て
患者さんに実際にその薬を飲んでもらうという生体実験をする。
この実験(治験という)への参加希望者を募り、集まった患者さんには
本当の抗うつ剤かプラシーボかのどちらかが投与される。
その際、処方する医者も、処方される患者も、
それが本当の薬かプラシーボかが分からないようになっている。
これを二重盲検法と言い、科学的信頼性の高い効果判定法と言われている。

このような方法で、全国の病院から集められたデータを集積し、
最終的に実薬を投与したグループの方が、プラシーボを投与したグループより
統計的に見て有効性が高いと判断された場合のみ、
この抗うつ剤は有効性があると判断されるわけだ。

そのようなデータを厚労省に提出し、それらをもとに薬の認可がおり、
それが一般市場(病院やクリニック)に出回ることになる。
つまり、常識的に考えれば市場に出回っている抗うつ剤は
すべてその有効性が科学的に立証されているものということになる。
ところが、実際にはそうではないのである。

このようなデータを取ってみると、データの結果は結構まちまちになる。
有効と出ることもあるが、プラシーボとあまり差がないこともある。
つまり有効性が証明されない場合も少なからずあるということだ。
もちろん、そんなデータを出せば認可されるわけがないし、
それまでに投資してきた何百億というお金も無駄になるので、
できるだけ何とかしたいと思うのが企業としての常識的な?考えだろう。

そのため都合の悪いデータは、結局発表されなというケースが極めて多いのだ。
イギリスでプラシーボ反応の研究をしているアービング・カーシュ教授は
表に出てこなかった論文もすべて集め、それらを集計したところ、
抗うつ剤もプラシーボも、うつ病に対する効果には差がないということがわかり、
これを2002年に論文として発表した。
これは世界中で大きな論争になった。
詳細は「抗うつ薬は本当に効くのか」(アービング・カーシュ著、石黒千秋訳)が
エクスナレッジという出版社から出ているので是非読んで頂きたい。

この本では、それらのデータはもちろんのこと、
医薬品開発の裏話や、薬の認可における規制当局との関係、
さらにはうつが脳の病気であるという根拠となっている
化学物質不均衡説(モノアミン説)の根拠のなさや、その説が生まれた背景など、
驚きの事実が次々と出てくる。

今流行の抗うつ剤はSSRIやSNRIと言われる種類のもので、
これは脳内にあるセロトニンやノルエピネフリンの濃度が低下することが
うつの原因であるという考えに基づいて開発された抗うつ剤だ。
そのためこれらの抗うつ剤には、
それらの脳内濃度の低下を防ぐ働きがある。
ところが一方では、全く正反対の考え方に基づいた抗うつ剤も開発されている。
つまり、セロトニン濃度を低下させることでうつを改善させようとするものだ。
これもすでに、その有効性が立証され市場に出回っている。

つまり、モノアミン説という、うつの原因を説明する仮説そのものが、
実はかなり曖昧な仮説なのだ。
その根拠の薄い仮説に基づいて、
ほとんどの抗うつ剤は開発されているわけだから、
抗うつ剤とはいったい何なのかという話にもなりかねない。
医学の世界は厳密な理論と揺るぎない科学的根拠に基づいていると思いきや、
実はかなりあやふやな仮説に上に成り立っているというのが現実のようだ。

もっとも私としては
抗うつ剤の有効性がプラシーボと差がないという事実の方に興味がある。
裏を返せば、プラシーボは抗うつ剤と同等の抗うつ作用を発揮するということだ。
もちろんこの場合、プラシーボに抗うつ作用があるわけではなく、
プラシーボを服用することで心の治癒力のスイッチが押され、
それが身体の治癒力に影響を及ぼし、結果としてうつが改善するという仕組みだ。
そうであれば、どんな方法であろうが、心の治癒力を機能させるような何か、
言い換えればプラシーボ反応を引き起こすような何かがあれば、
抗うつ剤に勝るとも劣らぬ効果をもたらすことが可能だということだ。
しかも副作用なしに。

そんな心の治癒力を引き出す様々な方法を開発する方が、
ずっと身体には優しくお金もかからない気がするのだが…。
ただし、製薬会社は決して喜ばないとは思うが…。
http://holicommu.web.fc2.com/9月22日のブログより転載)

2010年12月5日日曜日

55歳の受験生

30年前に国家試験に合格した時、「ああ、これで一生受験勉強から解放される」と思った。
しかし、昨今の資格ブームはそれを許してはくれない。
20年前に「耳鼻咽喉科専門医」が出来た時は、「移行措置」で、臨床経験と学会発表などの業績だけでとれた。
5年ほど前に、「補聴器相談医」をとったが、これは一週間缶詰のセミナー受講で取れるものだった。

だが昨年、「頭頸部がん専門医」という制度が出来た。耳鼻科領域の癌を扱う専門医である。
まず、「暫定指導医」という資格をとらねばならない。例えば、5年間で100例以上のがん患者の手術術式のリストを出すなど、これだけでも、資料を揃えるだけで大変だった。だが、実績があれば書類審査で済む。

しかしこの資格、有効期限は10年間に限られる。
その間に、「頭頸部がん専門医」試験を受けて、合格しなければならない。
今年が、その専門医試験の最初の年である。

10年たったら65歳。
「もう、資格なんかいらんのでは」とも思う。
しかし、がん拠点病院の担当診療部長としては、やっぱり資格がないとちょっとまずい。社会的信用も違う。他の病院のDrも受けるはずである。
老後の再就職にも役立つかもしれない。

まあ、落ちても収入が減るわけでもないし、(合格しても増えるわけでもないが)
10回機会はあるのだから、ということで受けてみる事にした。
55歳の受験生である。


試験日は9月4日だ。
120分で60問のマルチプルチョイス形式。
ふだんやっている、診断、治療方針、手術術式、化学療法などは比較的わかりやすいが、問題はがん全般にわたって出される。
例えば、がんの生物学、免疫学、病理学、疫学、統計処理の方法、診断学、放射線治療、化学療法、救急対応、ターミナルケア、倫理的問題などなど、およそがんにかかわる全ての分野だ。

しかもこれらの最近の(最先端ではないが)知識が要求される。
さすがに、勉強をしないと通らない。
7月ごろからテキストを読み始めたが、・・

若いころのように、頭に入らない。
老化とアルコールのせいで減ってしまった脳細胞にはかなりつらい。
普段の仕事と、病気の犬の世話で時間もなかなかとれない。

8月にはお受験体制で、頭の働く早朝にテキストを読むことにした。

8月上旬に京都に行く機会があった。
ついでに受験の神様「北野天満宮」に立ち寄る。
中学高校と6年間この近くに通ったのだか、結局中に入ったことはなかったところである。
困った時は神頼みに限る。
観光客に混ざって、おみくじを引いてみる。

凶・・だった。
(続く)


愛場庸雅

2010年11月23日火曜日

フォーラム開催報告「動物たちから学ぶヒトの生き方♪」

今日は、大阪滝井の関西医科大学
南館臨床講堂にて第103回
ホリスティックフォーラムを開催しました。

「人間も動物である」


考えてみれば当たり前の話。

でも私たちはいつの間にかそれを忘れてしまっていることが多いようです。
今回のフォーラムは、獣医師の永田高司先生に来て頂き、

「動物たちに学ぶ、ヒトの生き方」-犬のフリ見て我がフリ直せ-

というテーマで講演して頂きました。

あらゆる種類の動物たちの、

あらゆる種類の病気を扱う動物病院には、

医療の原点があります。

動物病院の日常で動物たちが教えてくれることは、

我々ヒトという動物にも当てはまるはずです。
永田先生が動物たちから学んだ、元気に楽しく暮らす秘訣は、次の10カ条でした。
1. 生活の質が落ちていなければ、治療を受けないこと。
2. 定期健診を受けないこと。
3. 症状を薬で抑えないこと。
4. 根拠のある医療を受けること。
5. 不安感を持たないで済むように心がけること。
6. 相性の合わない人にはなるべく近付かないこと。
7. 心身とも生殖に関係する活動を、積極的に行うこと。
8. 不快感を我慢しないこと。
9. ふれあいのある暮らしをすること。
10. 今食べたいと思うものを、自然食から選んで食べること。

えっ?と思うようなこともありますが、

動物たちの実例をお聞きすると、納得できます。
遠くは宮崎や横須賀からわざわざ参加して頂いた方もおられました。

獣医さんのお話は、103回を重ねたフォーラムでも初めてでしたが、

可愛い動物たちのスライドを見ていると心がなごみました。

懇親会の後に
永田先生と一緒に関西支部のスタッフもパチリ。
前列、左から2番目が永田先生です。
ご来場いただいたみなさま、
永田先生、
ありがとうございました!

2010年11月22日月曜日

第103回ホリスティックフォーラム開催♪犬のフリ見て我がフリ直せ♪

明日、11月23日に
関西医科大学南館臨床講堂にて
第103回ホリスティック医学フォーラムを
開催します!

獣医さんのご講演は
関西支部でのホリ協フォーラムでは
初めてです。

どなたでもご参加いただけます。
ご予約も不要ですので、
ご興味、お時間のある方はぜひお越しください(*^_^*)


【動物たちに学ぶヒトの生き方
~犬のフリみて我がフリ直せ~】


プロフィール
永田高司(ながたこうじ) 
1950年大阪府生まれ。宮崎大学獣医学科卒業。
玩具業界に就職後、大阪府立大学付属動物病院、
ミズーリ大学付属動物病院を経て、
永田動物病院(大阪府箕面市)を開業。
著書に「動物力」「永田動物病院物語」
「ぼくの飼い主は獣医さん」「神秘の治癒力」など。



[永田先生からのメッセージ]

あらゆる種類の動物たちの、
あらゆる種類の病気を扱う動物病院には、
医療の原点があります。
動物たちは、神秘の自然治癒力を持っており、
そこには、「心のエネルギー」も大きく関与しています。
動物病院の日常で動物たちが教えてくれることは、
ヒトという動物にも当てはまるはず。
動物たちの豊かな生と死から、
健康と医療について考えてみたいと思います。


■永田動物病院診療原則
   その1  動物の病気の90%は現代医学的治療をしないほうが早く治る
   その2  いかなる薬も生体にとっては毒物である
   その3  外科手術は本来有害であり危険である
   その4  害のない検査はない
   その5  細菌もウィルスも寄生虫も我々と共に生きる仲間である
   その6  自然治癒の障害となっているものを除去したり、
       不足しているものを補うことはできても、
       自然治癒を促進することはできない
   その7  病気の早期発見早期対処は大切であるが、
        無症状での検査には意味がない
   その8  病気は自然と調和するための試練であると同時に、
       不自然なライフスタイルに対する警告である
   その9  病気はすべて心身相関である


■日時:2010年11月23日(火・祝)
■1:30~4:00(講演・質問) 4:00~(懇親会)
■場所:関西医科大学(京阪電車「滝井駅」徒歩2分) 
関西医科大学南館臨床講堂
■参加費:会員 2,000円/学生会員 1,000円/
一般 2,500円/一般学生 2,000円
■懇親会は無料ですので是非ご参加ください。
■6才以下のお子様の入場できません。

●原則として申し込みは不要ですが、
一般の方5名以上または会員を含む
3名以上のグループでの申込みの場合は、
全員の方を会員価格とさせていただきます。
その場合は事前にファックスでのお申し込みが必要となります。

■今回はセルフケア講座ですので、
指導士の方は出席すると2単位取 得できます。
受付時に指導士用受付デスクで申請をしてください。


お待ちしています(*^_^*)

2010年11月20日土曜日

Always both


写真は、雪の大正池から見た穂高連峰。去る11月11日、上高地閉山4日前のものです。
55歳はリフレッシュ休暇というものがもらえるらしくて、1週間の休暇をとりました。

たまたま、がん患者自助グループの定例の集まりが穂高養生園であるので、それも兼ねて信州へ。
一日早く出発し、上高地と乗鞍高原へ寄ってきました。


がん患者の会は、いつものように近況報告の分かち合いですが、サバイバーの皆さんはとても元気で、2日目の夜は養生園の「山の家」の最終日ということもあって、ピザパーティー。

スタッフの皆さんとともに、ピザ作り。オーナーの福田さん(ホリ協理事)は自ら窯の中にピザを出し入れしてサービスしてくれていました。作りながら食べる料理はおいしい。


最終日は早朝に養生園を後にし、東京に向かいます。
ホリスティック医学東京シンポジウムに出て、ガイアシンンフォニー第7番を見てきました。

映画だけでなく、アンドルー・ワイル博士のもとで統合医療を学んだ10名の日本人医師のうち3名が参加され、それぞれの思いを語られました。
さらに、映画の後の、龍村監督と上野圭一さんの対談も歯切れが良く、楽しいものでした。

印象に残った言葉は、Always both.

龍村監督が、ワイル博士に、「医療の将来について、楽観的か、悲観的か?」と質問した時に、ワイル博士は「Always both」(いつも両方です)と言って大笑いしたそうです。

陰と陽、月と太陽、善と悪、西洋と東洋、といった対立するような概念はいっぱいありますが、その両方を常に見る。両方の存在を常に意識することが、まさにホリスティックなものの見方だ、というような解説を上野さんがしておられました。

愛場庸雅

2010年11月11日木曜日

とんでもない大記録達成!!

先月、ついに大記録を達成した。
この10年来、いや、実際には自分が物心ついた頃から今現在に至るまで
未だかつて一度たりとも達成できなかったことがついに達成できたのだ!
まさに前人未踏…ではなく「前私未踏」の大記録と言えよう。

なんと、驚くなかれ、1ヶ月のうち20日も出たのだ…ウンコが。
学生時代から一週間以上便がないことなどごく普通にあった私にとって、
これはまさに驚天動地の大事件なのだ。
この10年来、まいにちウンコ日記を付けている。
手帳にウンコが出た日に印を付けるだけのことだから、
日記と言えるほどのものではないが…。

昔はそれほど気にならなかったが、
この20年くらいは、やはり便秘は身体によくないという自覚もあり
何とかしたいという思いは常に持っていた。
そのため、人に言われた便秘解消法や健康食品などはかなり試した。

玄米食は言うに及ばず、納豆、野菜ジュース、乳酸菌関連グッズなど色々だ。
お腹を動かすためのマッサージや運動もした。
でも、どれもこれも最初の2週間くらいは良いような気がするのだが、
1ヶ月もすると、結局はもとの便秘状態に逆戻りだ。

もっとも昔から、ある条件下では便が出ることが経験的にわかっていた。
それは適度な集中や緊張状態の持続だ。
消化管は副交感神経優位なので、リラックスしているときの方がよく働き、
緊張しているときは逆にあまり動かなくなるのが通常だ。

私の場合は逆だ。
あまり緊張もなくボーッと過ごしていると便秘がひどい。
ところが試験勉強などのように、かなり集中力が必要なときなどは
決まってトイレに行きたくなる。
あと講演をする日もちゃんと便が出る。
準備のために、それなりの集中や緊張を強いられるからだ。
便秘の私にとって、これはまことに都合のよいことだ。

では、なぜ私は便秘なのだろうか?
実はあまり深く考えたことはないが、もしかしたらこれって、
便秘の原因になるのかもしれないなあ…と思っていることはある。

私は生まれて10ヶ月の時に盲腸(虫垂炎)の手術をした。
このことは、私が小さい頃から親に何十回と聞かされた話だ。
10ヶ月で盲腸になるというのも極めて珍しいが、
おまけに左側にあったというからさらに珍しいことになる。
心臓は左側にあるので少なくとも完全内臓逆位ではない。
となると、大腸だけが逆向きなの??
これは調べていないからわからない。

私は小さい頃から脱腸(そけいヘルニア)があったので、
うちの父親は、私の脱腸の整復をよくしていたそうだ。
ある時、泣いている私の脱腸を見つけ
いつものように整復を試みたがなかなか入らなかった。
泣き方もいつもよりも弱々しく、おかしいと思い、
すぐさま近くの済生会病院に連れて行った。

当直の外科の先生が修復に努めること1時間?
しかし結局修復できず、そのまま手術になったという。
今思えば、医者は嵌頓(かんとん)を起こしたと思ったのだろう。
これは、脱出した腸が戻らなくなる状態で、
放っておくと腸が壊死に陥ってしまう危険な状態だ。

無事手術を終え、出てきた先生は親に説明をした。
「いや~、よかったですねえ、盲腸でしたよ!
それがあったので脱腸が戻らなかったんですね。
しかも盲腸は腐りかけていたので、あと一日遅れていたら破裂して
命が危なかったかもしれません」

執刀医にそう説明されたという。
盲腸は通常右側にあるので、まさか左側にあるとは思っても見なかったのだろう。
ヘルニアの手術をしていたところ、たまたま盲腸が見つかった、ということだ。
もしもこれが本当の話ならば、とてもラッキーなことだ。
もちろん私の左そけい部には、しっかりと手術の跡が残っているので、
手術を受けたことは確かだと思うが…。

話をもとに戻そう。便秘の原因の話だ。
そんなわけで、どうも私の腸は解剖学的に異常がある可能性があるということだ。
そうであれば、それは物理的な原因なので、
普通の人よりも便秘になりやすいというはうなずける。
まあ、こんな稀なことがなくても、
私と同じような、もしくはそれ以上に便秘の人など世の中にはゴロゴロいるので、
無理にこれを原因を結びつける必要もないかもしれないが…。

ウンコの出は今月も比較的調子がいい。
このペースでなんとか今年一年を乗り越えたいものだ。
平成20年には年間202日という200回越えの大記録を樹立したが、
去年は惨憺たる結果に終わってしまった。
年間160日(43.8%)と、大きく5割を切ってしまったのだ。
先ずは月20回を目標とし、
年間で6割を越えたら万々歳だ。つまり年間219日以上ということだ。

というわけで、今年は前人未踏、いや前私未踏の大記録に向けて
日々のトイレ通いに精進努力を惜しまぬ覚悟で邁進したいと思っている!
結果は来年の正月早々のブログで。乞うご期待を!
…まあ、そんなに「きばる」ことでもないですけどね…
http://holicommu.web.fc2.com/8月9日のブログより転載)

2010年11月10日水曜日

ありがとう・・犬の骨折



犬を車に乗せて、山に向かってゆく。
山のふもとにさしかかると、急に荷物室に居る犬の呼吸が荒くなる。
知っているのだ。
「もうちょっとやから! ちょっと待て!」となだめながら、いつものところに車を止める。
ドアを開けると、待ちきれない犬が飛び出し、大喜びで走り回る。

山の中に、小さな池がある。
近くまでくると犬はダッシュして、ざぶんと池に飛び込む。
枯れ木の枝を投げてやると、泳いで取りに行く。
口にくわえて、鼻をフガフガさせながら戻ってくる。

そんな楽しい時間をずいぶんと持ったものだ。


骨折して、後ろ足が立たなくなってからは、そんな楽しみ方はできなくなってしまった。さすがに山道は歩けない。

それでも、近くの公園まで散歩に行く。
お腹にタオルを通して下半身を支えてやると、前脚だけで歩く。
いつも可愛がってくれる人を見つけると、走り出す。
あわてて、飼い主もついて走る。

犬との二人三脚。
この一体感はなかなかいい。

こんなことは、障害をもっているからこそ出来るのだ。
「障害は不便ではあるが不幸ではない」と誰かも言っていた。


そんな楽しみもこの夏で終わってしまった。
犬と過ごしたこの14年間、思い出すのは楽しいことばかりだ。
ずいぶんと癒されたものだと思う。
長い間、本当に有り難う。

愛場庸雅

2010年11月7日日曜日

微分、積分、全体論




ホリスティックの考え方の基本はホーリズム(全体論)だと聞いた。
で、この全体論では、「全体は部分の総和より大きい」らしい。

これが良くわからない。
少なくとも、はいそうですかとすぐに納得できるものではない。
どうゆうこっちゃ? なんでやねん? と突っ込みたくなる。


先日、統合医療学会のセミナーに行った。
統合医療は、英語ではintegrated medicine という。
これは、「積分」という事らしい。

足し算ではなくて、積分?
さらにわからなくなる。


風呂にはいりながら、40年近く前に習った数学のおぼろげな知識をたどり始める。

y=x3乗+a
という方程式があったとする。

微分とは、このxを限りなく小さくしたときのyの変化率・・だったと思う。
で、微分すると、 dy/dx=3x2乗 となる。

積分は微分の逆なので、3x2乗 を積分すると、
∫3x2乗 =x3乗+C
と習った・・はずである。

このCというのが、名前は忘れてしまったが、決められない定数である。
C?? なんだかわからない存在である。

湯けむりの中でさらに考える。

y=x3乗+aを微分して、dy/dx=3x2乗  となったとき、3次元から2次元に次元が下がり、定数aはどこかに消えてしまった。

逆に、3x2乗 を積分した時に、2次元が3次元になり、Cというものが出現した。
・・・・・

そっ、そうか!

物事を細かく細かく分けて分析的に考えるのは、微分と同じことだ。
つまり、近代科学の分析的思考を続けてゆくと、いつのまにか次元が下がり、元々あった何か、つまり定数aがどこかに消えてしまう。

人間を物質の集合体とみなして、分けて分けて考えてゆくと、いつの間にか、心とか魂という大切な存在が見えなくなってしまうのは、こういうことなのだ。

逆に、積分をすると次元が上がり、今までなかった何か、つまりCが出現する。

つまり、統合医療が、ホリスティック医学がその姿を現すと、今までよりも高い次元になり、かつ今までなかった何かが出現するのだ!
だから、全体は部分の総和より大きくなるのだ。


「わかったぞ!」と言って、風呂から裸のまま出て近所を走り回る。
という、アルキメデスのまねこそしなかったが、妙に納得出来てしまった。

少なくとも、次回の概論講座のネタには出来そうだ。

でも、積分ってどうやってするのだろう?

愛場庸雅

2010年10月28日木曜日

幸せの鈴 出雲大社

今年は何かとお初が多い年ですが、
初めて“出雲大社”に行ってまいりました。

思い立ったら時間を確保でき次第出かけてしまうので、
一人旅になることがほとんどだったりしますが、
今回もちゃっかり一人旅となりました♪

日程的には2泊3日
三ノ宮駅より直通の高速バスで出雲市駅まで行き
さらに滞在中はすべてバス移動という行程でした。

学生時代は夏休みの第一週に宿題を片付けてしまい
あとは遊びほうけるという日々を送っていた私ですが(笑)

最近はどうもギリギリなグループに入ってしまっており

今年行った上海やプサンも、昨年のエジプト旅行さえも
出発前夜、夜中の2~3時頃に準備していたりするのですが

今回も類にもれず、真夜中に準備を整えておりました(汗;)

とはいえ、新幹線や飛行機、
3列シートの高速バスでいつもながらに爆睡し(笑)
目的地に着いたら、こんどは元気いっぱい!

受講生さん(ヒプノセラピースト(催眠療法士)、チャネラー等)や
創業以来のパートナーからもらった情報をもとに

自由に楽しい旅を満喫させていただいております(*^_^*)v

この時こそ、ありがたいなぁと
本当にたくさんの人に支えられて自分がいるのだなぁと
ふと気付くことができる時間でもあります。


こころのヒーリングサロン 
セルジュ・フォレスト
清流いつき

2010年10月27日水曜日

ハングルとの出会い

今、毎日のようにハングル(韓国語、朝鮮語)を勉強している。
始めたのは一昨年の10月からだから、もうかれこれ2年近くになる。
勉強し始めて半年後にはハングル能力検定試験の5級と4級に合格した。
しかしそれから1年以上が経ったが、未だ3級は受けられるレベルにはない。

そんな私だが、実はそれまではハングルなど全く興味がなかったし、
冬ソナが大流行し、ヨン様ブームが日本を席巻しているときも
私にとっては、どうでもよいことだった。
もちろんドラマを見たこともなかったし、見る気もなかった。

それが今やハングルにはまり、
是非しゃべれるようになりたいと日々?勉強している。
人とは、全くもって不思議なものだ。
では、なぜこんなにもハングルに興味を持ったのか。
きっかけは全くの偶然であった…

2年前に私は扁桃腺の手術をした。
それまでの30年間は、全くのほったらかしだった。
最初の頃は扁桃腺炎だったが次第に扁桃周囲炎になり、
最後の方は扁桃周囲膿瘍になっていった。

頻度も、以前は数年に一度くらいだったのが、
この5年間は毎年のように扁桃腺を腫らすようになっていた。
基本的に薬を飲まない私は、
扁桃腺が勝手に破れ、膿が出るまで待っていた。
破れさえすれば、あとは急速に治癒へ向かう。
そんなことの繰り返しだった。

それが段々と頻度も多くなり、ちょっと痛む程度の小発作は毎月のように起こり、
多大な苦痛を伴う大発作も年に2回起きるようになった。
このときは当然、しゃべるのもままならず、仕事にも差し障る。
たまたま講演の日だったりすると、もう最悪だ。

これから先、さらに頻度が増えることが予想されたので、
これはもう限界だと思い、2年前の4月についに手術をした。
ここまではハングルとは全く関係ないが、話はこれからだ。

手術の次の日には、もうやることがないので暇で仕方がない。
そこで昼食後、パチンコ屋さんに行くことにした。
たまたま座った台が「春のワルツ」だった。

冬ソナをご存じの方はわかると思うが、
ユン・ソクホ監督が手がけた四季シリーズの最終章が春のワルツだ。
冬ソナは、このシリーズの第2作目に当たる作品だ。
しかし、そのときは全くそんなことは知らなかった。
本当にたまたま、そのパチンコ台に座っただけだった。
そしてそこから奇跡が起こるのだ。
なんとその日は14連チャンだった。

これに味を占め、次の日も昼食後に病院を抜け出し、
再び「春のワルツ」を打ち始めた。
そしてまた奇跡が起きた。
この日はなんと18連チャンだった。

パチンコをしない人にはわからないかもしれないが、
大当たりすると玉が2500発くらい出てくる。
その間にドラマの第1話のダイジェスト版が見られる仕組みになっている。
つまり18連チャンということは第18話まで見られたということだ。
せっかくここまで来たのだから、最終話の第20話まで見たかったが、
そのあとはどうしても大当たりすることなく、仕方なくここであきらめた。
でも15箱くらいで約6万円の儲けである。気分は最高によかった。

結局、扁桃腺で入院している間にパチンコをしたのはその二日間だけだった。
入院4日目にはすでに退院し、家に戻ったからだ。
「春のワルツ」の結末がどうなるのかが少しは気になっていた。
しかしそのためだけにパチンコをするという気はなかったし、
ましてや20連チャンする確率は極めて低いこともわかっていた。
まあ、たかがドラマひとつに、そう執着する必要もないなあ、と思い
そのまま忘れかけていた。

その後、家の近所のパチンコ屋さんに行ったとき、ふとあるものが目に入った。
なんと、パチンコの景品として「春のワルツ」のDVD全7巻が置いてあったのだ。
これを見ればドラマの最終章まで見られるんだな、とは思ったが、
そうかと言って、これを買ってまで見ようとも思わなかった。
まあ、大当たりして、そのときにまだこの景品があったら
交換してもいいかな、くらいの程度だった。

それからも何回かそこのパチンコ屋さんに行った。
そのたびに、あ、まだある、と、思っていたが、
何が何でも欲しいというわけでもなかった。
事実、お店を出たらDVDのことなどすっかり忘れていた。

ところがある時、大当たりした。1万数千発くらい出た。
その時まだ、そのDVDがあったので、よし、今日、交換しちゃえ!
そう思い、とりあえず「春のワルツ」のDVD全7巻を手に入れた。
次の日から早朝病院へ行き、仕事前に1話ずつ見るのが日課になった。
何話か見るうちに、もうすっかりはまってしまったのだ!!!

もう、無我夢中で見ていた。続きが見たくて出張先にも持って行った。
結局、このDVDは3回見た。
さらに日本版ではカットされている場面もあることを知り、
インターネットで韓国語版「春のワルツ」も購入した。
本や写真集、小説などの関連グッズもすべて買った。
久しぶりにはまった、という感じである。

そうなってくると、今度はドラマを字幕なしで見たくなった。
当然、そのためにはハングルを勉強しなくてはならない。
がぜん、やる気が出てきた!よーし、ハングルを勉強してやる!!
早速、本屋で一番簡単そうな超入門の韓国語会話の本を買った。
それを何度も読み、何度もCDを聴いた。
以来、ハングルの勉強は今も続いている…というわけだ。

本当にちょっとした「きっかけ」により、
こんなにも人は変わるものなのだということを、体験を持って知った。
もし、扁桃腺の手術をしていなかったら
もし、パチンコに行っていなかったら(これはないかも…)
もし、「春のワルツ」の台に座っていなかったら
もし、パチンコで大当たりしていなかったら
もし、春のワルツのDVDを景品に置いていなかったら
もし、その後DVD全7巻が取れるほどの大当たりをしていなかったら
…そんなことを考えていると、ハングルを学ぶ「きっかけ」を持てたというのは、
まさに奇跡に近いような気がしてきた。
こんなにも偶然が積み重なるわけないのだから…

でも、あれこれ考えながら、ふと思った。
もしかして、これって、偶然ではなく、必然のことなのだろうか…と。
http://holicommu.web.fc2.com/7月28日のブログより転載)

2010年9月22日水曜日

お酒の楽しみ

私はお酒が好きだ。毎日晩酌もしている。
通常は家で缶ビール500ml(冬場は350ml)、
それに日本酒1~2合と焼酎のお湯割り1杯程度だ。
私にとっての適量はこれくらいだと思っている。

よく缶ビール350mlくらいを適量と言っているが、
全くナンセンスな話だ。
酒が飲めない人にとっては致死量かもしれないし、
一升酒を飲める人にとっては
ノンアルコールビールと変わらない程度の量だ。
人それぞれの体質やアルコールの強さによって違うのだから、
これが適量などと、いい加減なことを言ってほしくない。
十把一絡げもいいところだ。

また、この程度の酒を毎日飲むのは健康にもとてもよいと思っている。
適量のアルコールを飲む人は、
お酒を飲まない人に比べ長生きするというデータもある。
これは実感として分かる気がする。

一日の仕事をやっと終え、家路につく。
家に帰ってからの一杯は格別にうまい。まさに至福と時だ。
あとは食事をしながら、チマチマと酒を飲む。
こんなリラックスできるときは、この時間をおいて他にはない。
一日一回、このようなリラックスタイムがあるのだから、
それはストレスも吹っ飛び、心の健康には最適だろう。
当然、リラックスできるのだから、それは身体にもよいに決まっている。
適度な酒が健康によいというのは十分にうなずける話だ。
そんなわけで誰がなんと言おうと晩酌は続ける!自分の健康のためにも!

もっとも私の場合は、土日の講演やセミナーなども多いため
外で飲むことも少なくない。
平均すると月に6~7回くらいは外で飲んでいるかもしれない。
そのときは居酒屋さんでワイワイと飲むのが好きだ。
気が置けない仲間と飲む時はなおさら盛り上がる。
当然、時間も長くなり3~4時間は飲んでいることが多い。
それに伴い飲む量も多くなるのは言うまでもない。

たいていは、まず生ビール4~5杯といったところだろうか。
ビールが飽きると日本酒か焼酎に移るのが常だ。
日本酒も4合くらい飲んでしまう。
焼酎もお湯割りを3~4杯は飲むだろう。
ここまで来ると、確かに適量とは言えないかもしれない。
事実、記憶が定かではないこともしばしばだ。

年を取ってから、特に記憶がなくなることが多くなった。
明らかに肝臓の働きは若い頃に比べると落ちていると思う。
楽しくなるとつい飲んでしまい、酔っ払う。
酔うと気分がよくなるからさらに飲んでしまう。
そうなると記憶がおぼつかなくなる。
家には何とかたどり着くが、どうやって帰ったのかがよく分からない。
断片的な記憶はあるが、それがつながらなかったりもする。

先日もセミナー修了後、みんなで居酒屋へ行った。
5時過ぎから飲み始め、終わったのは9時頃だった…ようだ。
京都駅のとなりに山科駅があるが、そこから新快速に乗った…はずだ。
ところが寝過ごしてしまい、終点の米原まで行ってしまった。
仕方なく反対方向の列車を待ち、乗り換えたが、
今度は戻りすぎて野洲まで戻って来てしまった。
明るく輝く「野洲」という駅の表示は記憶に残っているのでこれは事実だ。

やむを得ず再び反対方向の列車に乗ったのだが、
今度は米原をも越えて田村という駅まで行ってしまった。
ここは長浜のひとつ手前の駅だ。かなり遠くまできたものだ。
ここでも戻ろうと思っていたが、もうすでに最終電車はなかった。
結局、そこからタクシーで帰る羽目になった。
家に着いたのは午前0時をだいぶ過ぎていた…と思われる。

飲み過ぎると、たまにはこんなこともある、たまには、である。
この間は新神戸から新幹線で帰ったのだが、
米原を通り過ぎて岐阜羽島まで行ってしまった。
当然、帰る電車もなく、仕方なく駅前のホテルに泊まった。
新幹線で乗り越したのは初めてだ…私の記憶では…
まあ、これもたまには、のひとつに入れてもらおう。

でもやはり飲み過ぎると、電車代やタクシー代がかかるので
経済的にはあまりよくないことだと思う。これは正直認める。
では健康的にはどうかと言われると、これはなかなか微妙なところだ。
確かに、多少身体に負担がかかるであろうことは予想されるので、
飲み過ぎるのは,決してよいことだなどと言うつもりはない。
しかし、とても楽しい時間が過ごせるので精神的には大いにプラスだ。
でも記憶がなくなると、次の日は気分的落ち込むので、
その点を考えるとトータルで差し引きプラスマイナスゼロと考えている。
そんなの、たんなる酒飲みの言い訳だと思われるかもしれないが…言い訳だ。

要するに、外で飲んだときも飲み過ぎずに、
家で飲むとの同様に楽しめればいいのだ。
そうすれば、毎日が至福の時となり、良いことずくめだ。
…だとわかっていても、それができないのが凡人の悲しいところだ。
http://holicommu.web.fc2.com/7月12日のブログより転載)

2010年8月31日火曜日

ホメオパシー報道について

先週の8月25日付けの朝日新聞に大きく取り上げられた
ホメオパシーに関する一連の報道について
私個人の意見を述べさせてもらいたいと思います。

これは山口で、ビタミンKを投与されなかった新生児が
頭蓋内出血を起こして死亡した事件で、
担当の助産師がビタミンKの代わりに
ホメオパシーを投与していたことが明るみに出たことから、
ホメオパシーを医療現場から排除するべきだという見解を
日本学術会議金澤一郎会長が発表、それが報道されたものです。

金澤会長はホメオパシーに対して、
「治療効果は科学的に明確に否定されて」いる治療法であり、
それを信じ、それに頼ることにより、
確実で有効な西洋医学的治療を受ける機会を
逃す可能性があることが大きな問題であり、そのようなことが起きないよう
「医療関係者がホメオパシーを治療に使用することは認め」ないし、
また「医療現場からこれを排除」すべきだと述べています。

金澤会長の談話や朝日新聞の報道には、いくつかの問題があるかと思います。
まず今回の事件に関しては、
助産師が新生児にビタミンKを飲ませなかったことは
明らかに問題だと思います。これは否定しません。
ただその問題と、ホメオパシーを全否定し、それを医療現場から排除すべきだ、
ということとは別問題だと思っています。
これがホメオパシーではなく、漢方薬だったり、
他の代替療法だったりする可能性もあったはずです。
しかし、それがたまたまホメオパシーだったということで
やり玉に挙げられた可能性は十分にあります。

金澤会長は1年半前からホメオパシーに目を付けており
何かの折にホメオパシーを叩く思いは十分にあったことが予想されます。
もっとも日本ホメオパシー医学協会(会長:由井寅子)も、
医者や西洋医学に対する反発心が根底にはあるようなので、
ホメオパシーの信者に悪しき影響を与える可能性は否定できません。
そんな団体が大きくなり、世の中に影響力を持つようになることに対して
大きな危機感を持ったのは確かなようです。
そのような危険を避けるために今回のような事件をきっかけに
日本ホメオパシー医学協会潰しにかかったのではないでしょうか。
ホメオパシーも、とんだとばっちりを受けてしまったといった思いです。

さて、金澤会長はホメオパシーの有効性についても触れていますが、
実際には治療効果が明確に否定されているわけではありません。
否定的な論文もありますが、有効であったという論文もたくさんあります。
ですから、有効性に関しては肯定もできないが否定もできない、
というのが正確なところだと思います。

なお有効性が証明されていない治療法に関しては
西洋医学にもたくさんあります。
例えばアービング・カーシュは抗うつ剤に関する論文を調べ上げ、
実は、プラシーボとさほど変わらないことを発表していますし、
2002年のNEJM(有名な医学論文)には、変形性膝関節症に対する
関節鏡手術はプラシーボ手術と効果は変わらなかったと発表されています。
つまり、これらのうつや痛みの症状が改善されたのは、
すべてプラシーボ反応(効果)によるものだというのです。

ホメオパシーが効くと言われるのも、
このプラシーボ反応に過ぎないと金澤会長は言っていますが、
私は、プラシーボ反応は医学の治療には
なくてはならない要素だと思っています。
プラシーボ反応とは、心の治癒力そのものです。
何かの「きっかけ」があり、それによって心の治癒力のスイッチがONになる。
その結果、痛みが取れたり、症状が改善したりするというのは
臨床現場ではしばしば経験する、ごく普通の現象です。

医者の「大丈夫ですよ」というひと言で、スーッと胃の不快感がなくなったり、
生理食塩水の点滴でめまいが取れたり、
胃薬を睡眠薬と間違って飲んでも、よく眠れたり等々
これらは、医者のひと言や点滴、薬が「きっかけ」となり
心の治癒力が引き出された結果です。

このようにプラシーボ反応は
治療現場では切っても切れない存在なのです。
これにより患者さんの心の治癒力が引き出され、
症状が改善するのであれば、それも大切なことだと思っています。
ですからホメオパシーの投与により心の治癒力が引き出され、
症状が改善されるならば、
副作用のある薬を使うよりも、有用である場合が多いと考えています。

そもそも臨床の現場では
医者と患者とのコミュニケーションもかかわってきます。
薬の有効性だけを取り上げ、云々言うのは
患者の気持ちやコミュニケーションといった「つながり」の部分を無視し、
現実離れした議論になってしまう危険性があります。
この点は、しっかりと押さえておかなくてはいけない点だと思っています。

またホメオパシーを信じることにより、
有効な西洋医学の治療を受ける機会を逃す可能性にも言及していますが、
これはホメオパシーだけが唯一絶対の治療法だと思い込んでいる
一部のホメオパシー信仰の信者さんの問題だと言えましょう。
これが唯一絶対などという治療法はありませんので、
通常は西洋医学的治療とホメオパシーなどの代替療法を比べ
必要に応じてそれらの治療を使い分けるというのが一般的だと思います。
この一部の信者さんがいるためにホメオパシーを排除するというのは
ホメオパシーを適切に利用している医療従事者や一般の人たちにとっては、
大きな迷惑以外の何者でもありません。

なお日本医師会も金澤会長の談話に
賛同しているとのコメントを出していますが、
医師らで構成されている日本ホメオパシー医学会(会長:帯津良一)に対しては
今のところ、特段の申し入れ等をする予定はないとしています。
金澤会長は医療の世界からホメオパシーを排除するべきだと言っていますが、
西洋医学的治療にホメオパシーを取り入れる、
という考え方で治療に取り組んでいる日本ホメオパシー医学会に対しては、
日本医師会もそこまで強くは考えていないのではないでしょうか。
もっとも医師法や薬事法からみても医者がホメオパシーを使ってはいけない、
ということにはならず、実際には医療の世界からホメオパシーを
排除することはできないと考えています。

ホメオパシー信仰の信者さんも考えものですが、
西洋医学信仰、科学信仰の信者さんも、どうかと思いますね。
みんな自分が正しいと思い込み、相手を非難するというのが世の常ですが…。
まあ、これをきっかけにホメオパシーや他の代替医療に関する
ディスカッションが大いになされることを私は期待しています。
http://holicommu.web.fc2.com/8月31日のブログより転載)

2010年8月10日火曜日

ついに、運動を始めました

最近、ちょっぴり運動に目覚めた。
1ヶ月前くらいから車通勤をやめ、徒歩通勤に変えている。
と言っても、雨の日は今まで通り車通勤だし
徒歩通勤と言っても早歩きで20分程度の距離だ。
まあ、出だしとしては手頃なところだろう。
病院から最寄りの駅である南彦根までも基本的には歩く。
これも早歩きで約30分だ。
心拍数120回/分程度の早さで歩くのでよい運動になる。

運動をしなくてはいけないと以前から思ってはいた。
しかしなかなかその気になれなかった。
せめて病院から一番遠い駐車場に車を置くことくらいが精一杯だ。
万歩計をつけてみたこともあったが、
1日6000歩程度からなかなか歩数が増えなかった。
もっとも病院内を歩く程度だから、たかがしれている。
結局、もっと歩いてみようという思いにはなれなかった。
万歩計もなくしたのを機に、つけなくなってしまった。

ただ私に革命?を起こした事件があった。
2年半前に運動療法の講演を聴いたときだ。
平坦な道を歩くときと、
階段を上ったり自転車をこいだりするときとでは、
全然違う筋肉を使うことをそのときに初めて知った。
いくら歩いても、階段を上るという運動をしないと足腰は弱るということだ。
これは私にとって衝撃だった。

以来、毎日3階にある医局から8階にある病棟まで
階段を歩いて上ることにした。
これは結構きつい。なかなか大変だ。
だから1日1回のみで、他はエレベーターでOKとしている。
それでも私にとっては、ずいぶんと大きな変化だ。

しかしその後は最近まで大きな変化はなかった。
ところが今年に入ってから何冊か運動に関する本を読んで、
その中のジョンJ.レイディ著、
「脳を鍛えるには運動しかない!」(NHK出版)を読んで衝撃を受けた。

今までは身体を鍛えるために運動をするとばかり思っていたが、
実は、運動は脳にも大きな影響を与えることを知って俄然興味がわいた。
つまり運動により頭がすっきりし、注意力が高まり、やる気が出る。
楽天的に考えられるようになり、夢や希望、ロマンがわいてくる。
不快な感情やマイナス思考を長引かせない。
さらには記憶力や思考力、分析力も向上するという。

もちろん、そうした心への影響だけではない。
ストレスにも強くなり、身体の免疫力も高まる。
例えば、週6回30分歩く程度で
乳がんの再発リスクを5~60%低下させ、
前立腺がんや大腸がん、肺がんなどの予防効果も認められている。
がん患者の治療や再発予防にとても有効な治療法になり得るというわけだ。

また、うつや不安にも効果がある。
例えば、うつに対する運動の効果は、抗うつ剤の効果と同等であり、
再発率では運動群と抗うつ剤群とでは8%と38%と
明らかに運動群の方がうつの再発率は低い。
認知症になる率も、週2回運動していると50%低下するという。

このように運動は身体を鍛えるだけではなく、
思考や感情、ストレス、抑うつ、不安といった心の状態にも影響を及ぼし
さらにはがんといった病気にすら予防や治療効果をもたらす。

このことは、もう少し頭に刺激を与えたいと思っている私にとって、
とても魅力的な事実だ。
同時に、がん患者さんへのお話の題材にもなる。
まさに一石二鳥だ。
いや、身体が鍛えられるということも考えると
一石三鳥といえるかもしれない。

この本に出会ってから、あれほど運動が嫌いだった私が、
積極的に歩くようになってきた。
歩くようになると、もっと歩きたいという衝動に駆られる。
今までは徒歩通勤など、全く考えられないことだった。
それが今は楽しみになっている。人は変われば変わるものだ。
次の段階はランニングやサイクリングを考えている。

かといって、調子に乗ってむやみにどんどん前に進むことはしない。
その気になったときがベストの時だからだ。
その気になるまで待つというのが、私のスタイルだ。
だからしばらくは今のスタイルで行く。これで十分だ。

徒歩通勤を初めてまだ一ヶ月であり、
すぐさま効果を期待するわけではないが、
でも心持ち、気持ちが軽やかな気がする。
ちょっぴり意欲も出てきた気がする。
その証拠に、ブログの更新も月3回になった!?
今後のさらなる変化に期待することにしよう。
http://holicommu.web.fc2.com/6月30日のブログより転載)

2010年8月2日月曜日

フォーラムからすでに一週間

7月25日のフォーラムからすでに一週間。

日々時間の過ぎるのが早くなってゆくような気がしています。
これが年をとるっていうことでしょうか?(笑)。

私は医師や看護師といった国家資格を持っていません。

しかも、心理学の大家ユング博士のいわれた「人生の正午」、40歳を目前に、唐突にこれまでと違う生き方をしてみようと思いたち、家族の猛反対を押し切り心理学の勉強を始めこの世界に足を踏み入れました。

その学びの中で手に入れたものは本当にたくさんあります。
何より一番大きな気づきは、自分が右脳派…というか、感覚派の人間であるということでした。

それまでの私は、どちらかというと左脳派、論理主義的な人間なのだと思い込んでいました。

AB型の血液型はその傾向にあると、いわゆる血液型占いなどに書かれていたので自分もそうなんだと思い込んでいたんですね。
よく考えてみれば、その占いを信じている時点で、すでに右脳的発想に傾いているということなのですが(笑)。

ですので今回のフォーラムでは、学術的な難しいお話は素晴らしい資格と知識をお持ちの先生方にお任せし、内容的にはわかりやすい言葉で実践経験をまじえたお話と、何よりご参加の皆さまには実際の体験によるご体感を手に入れていただけたらと考えておりました。

初めてのパワーポイントにアリーナタイプの講義室、至らぬ点は多々あったと思いますが、フォーラム後のお問い合わせや個人セッションのご予約など、しっかりと心で感じていただけた方がいらっしゃったことにほっと一息、心より感謝いたしております。

そして、その場を実現することができたのは、やはり普段からお世話になっております運営委員の皆さまのご尽力とご協力のおかげと深謝いたしております。

ありがとうございます!

私の小さな力でできることは限られていますが、一人でも多くの方にご自身にとっての幸せを実現できる力、幸せ実現力を手に入れていただくためのお手伝い、これからも続けてまいりたいと願っております。

こころのヒーリングサロン
セルジュ・フォレスト
清流

2010年7月29日木曜日

映画「Flowers(フラワーズ)」を見て

映画「Flowers(フラワーズ)」を見た。
見ながらよく泣いた。
よく泣きながら、いろいろな思いが出てきた。
そしていろいろ考えた。

この映画は三世代にわたる6人の女性の生き方に焦点が当てられている。
どんな人でも、その人が生を受けるためには必ず両親がいる。
その両親にも、それぞれを生んでくれた両親がいる。
こうして命の絆は脈々と受け継がれていく。
そんな、あまりにも当たり前なことが、この映画を見ていると、
全然当たり前なことではないことに気づかされた。

一人一人がその時代背景や生き方、考え方の違いにより
時には苦悩し、時には喜び、時には後悔もする。
そんな様々な思いの積み重ねの中で、人は生き、愛し、そして死んでいく。
みな、それぞれにその人なりの物語があるのだ。
その物語の中には新しい登場人物も出てくる。
それが、その人の愛する人であり、子どもたちだ。
そして、その人たちにもまた同じように様々なドラマがある。
これが永遠に続くのだ。

私にも両親がいる。
この二人にも、それぞれのいろいろなドラマがあったに違いない。
父親からはよく刑務所生活の話は聞かされたし、
母親は雀荘のママとして働き続けてきた。
きっと私には知り得ない、たくさんのドラマがあるに違いない。

また両親のそれぞれの両親とて同様だ。
戦争、疎開、貧困、暴力、浮気、徘徊等々、断片的な話は聞いたことがあるが、
それ以上のことは知らない。
しかし、平凡ではない物語があることは想像に難くない。

そのようなつながりの中で、今ここに「私」がいる。
小さい頃、父親の母、つまり祖母と一緒に暮らしていた時期があった。
一日中座ってテレビを見て、食事をして、そして寝るといった生活をしていた。
何もせずに一日をボーッと過ごす祖母の姿を見て、
なんてつまらない人なんだと思っていたことを思い出す。
でも、その祖母にも若かりし頃があり、結婚して私の父親も生まれた。
そこにもきっと、様々なドラマがあったに違いない。
そして、私の父親もまた結婚し、私が生まれた。
その私も結婚し、そのつながりは4人の子供たちへと受け継がれている。

普段は、日常の仕事や様々な出来事に振り回され、
目の前のことにしか意識が向かない。
いろいろと迷ったり、落ち込んだり、不快になることも多い。
不平不満もあるし、うまくいかないこともある。
そう言いながらも、何とかその日その日を乗り越えている。

「今」に目を向け、そこに一生懸命取り組むことは大切だ。
困難に出くわしても、それに面と向かって立ち向かっていくしかない。
しかし、そのようなつらい日々に目を奪われてしまうと、
時として、いったい自分は何をしているんだろうか、
という思いにさいなまれることがある。

でもこの映画を見て思った。
思うようにいかない現実にぶつかると、つい自分を中心に物事を考え、
悶々としている自分がそこにいるが、
その自分も実は、綿々と連なる命の歴史の1ページに刻まれ、
そのつながりの中で、生かされている存在なのだと。
時代や状況によって、苦悩や困難の中身は異なるかもしれない。
でも、それを乗り越えるべく、各々がそれぞれの立場でがんばってきたのだ。
そしてまた、自分もその歴史の中の一人として、今、生きているのだ。

今まで続いてきた命のつながりと、
これからも続くであろう命のつながりを結びつける
とても大切な存在が、今の自分なのだ。
そのような命の歴史の一端を担っている貴重な存在だと思えたとき
目の前の困難や人生の不条理にも立ち向かえる勇気と希望がもらえる気がした。
http://holicommu.web.fc2.com/6月17日のブログより転載)

2010年7月22日木曜日

復活、犬の骨折


「もう、だめかもしれない。天に任せるしかない。」
そう思った。

7月15日、出がけにまた犬の足が腫れているのに気付いた。骨折を金属プレートでつないだ傷の感染で、もう何度繰り返したかわからない。いつもの膿の出口はまだ閉じている。でも、対応は早い方が良いので、針でつついて液を出す。
まだ、膿ではない。いつもと少し違う。
化膿しきっていないのだ。

「これから、まだ悪くなるかも」直観的にそう思う。
普通は、化膿して膿がひどいと激しい炎症と思いがちだが、化膿しているということは、実は体の自然治癒力である白血球が働いている証拠で、本当は悪いことではない。
むしろ化膿する前のほうが、治癒力が弱っていて病勢が進行している時なのだ。

午後、携帯電話の留守電に悲痛な声が入る。
「蘭ちゃんの・・・様子がおかしいので・・・獣医さんに・・・行きます・・・」
直ちに、大雨の中、箕面の永田動物病院へ。
(こんど11月のフォーラムで講演して頂く先生です)
例によって、傷を洗浄して処置し、帰宅。
だが、いつもと違う。
元気がない。反応がない。ぐたっとしている。

翌日の夕方も再び動物病院へ。
熱が高い。考えてみれば、オシッコがずっと出ていない。(歩けないのでオムツをしているから、かえって尿量がよくわかる)
脱水か? 敗血症を起こしている可能性が高い。 腎不全か?
18Gの太い針を、皮下に刺して、300ccほど点滴をして帰宅。

夜中は、か細い息でひたすら寝ている。
水分を取らせるために、注射器で水を口元に垂らしてやるとかろうじて飲む。
17日からの出張予定をキャンセルし、動物病院へ通う。
回復のきざしはない。
梅雨明けで炎天下の18日も車で犬を運ぶ。
暑すぎる。かえって脱水がひどくなる。体温40度。

4日間わずかの水とジュースくらいしかとっていない。食物は受け付けない。
目に力がない。
夜中にのぞいて。「ああ呼吸してる」と安心する状態が何日も続いている。

かぼそい呼吸をじっと見ていると、14年間の楽しかった思い出が甦って、涙が出てくる。
いつかは、来ることだ。
悔いは残すまい、と注射器で水を口元に垂らす。

19日は獣医さんは休診日。体温を上げないよう、エアコンをつけっぱなしですごす。
水を垂らすと飲む。
特性の玄米+ニンジン+リンゴのスープを垂らす。
少しずつ飲む。が、あとはひたすら寝ている。

そして夕方。
顔を上げた。
ためしに、ベビーボーロをあげてみると、がつがつと食べ始めた!!
もうちょっと! と、やわらかいドッグフードをやるとこれも食べる。玄米粥も食べる。
力が戻ってきた。

あきらめてはいけない。そう思う。
何故かわからない。何が効いたのかはわからない。
言えるのは、自然治癒力がまだあったということだけである。

この話が人間だとどうなるのだろう?
「気力で死線を乗り越えた」とか、「介護者の愛の力が勝った」とか、そんな評価になるのだろうか?

犬に「何が何でも生きてゆこうとする気力があった」とは思いにくい。
飼い主としては、「精いっぱいやった」という思いはあるが、「愛の力で命を救った」などと思い上がる気もない。
心の力は確かにあるのかもしれないが、それがどこまで影響したのかはわからない。

いのちの力に感謝し、甦ったことを素直に喜びたい。

愛場庸雅

2010年7月12日月曜日

心の変遷

私はあまり「感謝」が好きではなかった。
と言っても、実は高校や大学時代はよく感謝していた。
嫌なことがあっても、感謝が大切だと思い感謝をしていた。
昔から自己啓発や成功哲学の本が好きで
それらには必ず感謝の大切さが書いてあったからだ。

しかし30代の頃から状況が変わった。
いつしか「感謝しなければならない」に変わっていたのだ。
嫌なことがあっても、辛いことがあっても
感謝するというのはとても大切な姿勢だが、
それがいつしか義務感になり、心の足かせになってきた。

今まで理想論を掲げ、それなりに努力をしてきたつもりだったが
どこか自分では無理をしているという思いがぬぐい去れなかった。
そんなあるとき、ふと思った。もう理想論は捨てよう、と。
何にも縛られずに、もっと自由に生きようと、そう思い立ったのだ。

それからは毎年やっていた「今年の目標」を立てることもやめてしまった。
やりたいと思ったものを、やりたいときにやる。
やりたくなかったらやらない。
すべて自然に流れに任そうと思ったのだ。

それから自分の流れが変わったように思う。
もともと心理療法に興味があった私は、それにのめり込んだ。
色々な本を読み、様々な方法を学んでいった。
それをすぐさま患者さんに試していた。それが楽しかった。
余計なことは考えず、毎日を楽しんでいた。

そのうち自然と本を書かないかという話が舞い込んできた。
39歳に時に書いた「人は自分を癒す力を持っている」がそれだ。
43歳で緩和ケアに移ったが、それも降ってわいたような話だった。
すべて流れに身を任せていたら、自然とそうなったのだ。

そんなこともあり、感謝が大切!不平不満を言ってはいけない!といった、
当たり前なことに、反発心を感じていた。
ありがたくもないことに感謝する必要なんかない!
不平不満があれば言ったって良いではないか!
理想論だけでは人は生きていけない!
もっと自由に生きていればいいんだ!
この20年はそんな思いでずっと生きてきた。
理想論を求めていた自分への反動だったのかもしれない。

そんな自分にも転機が訪れた。
緩和ケア病棟に移ってきてからは、何かと問題が出てきたのだ。
もともと楽観的な私はあまりストレスを感じたことがなかった。
心療内科時代はほとんど怒った経験もなかった。いつも穏やかだった。
それが緩和に来てから状況が大きく変わった。
ストレスに感じることも多く、しばしばムッとくるようになったのだ。
白髪が一気に増えたのも、そのせいだったのかもしれない。

ほとんど一人で動いていた心療内科時代とは異なり、
緩和ケアに来てからは様々な人たちと関わるようになった。
当然のことながら、意見の相違が出てくる。
患者さんに対しては「それでいいですよ」と言えるが、
自分と意見の対立している人にはそうは言えない。
嫌なことは嫌なのだ。そこには感情も関与していた。

周囲にいる人が、必ずしもいい人ばかりとは限らない。
組織の中にいれば当然のことだ。不平不満も出てくる。
「人は自分の心の鏡」とか「苦難は自分を高めるチャンス」と思ってみても
自分は聖人君子なんかではない!という思いが顔を出す。
「そんなことができたら、とっくのとうにやっている!」
「それができないからみんな苦労しているんだ!」
私が講演でいつも言っている言葉だが、
それが自分への慰めにもなっていた。

しかしそんな状態が7年も続くと
さすがに自然の流れにまかすだけの生き方に限界を感じてきた。
何とかしなくては、という思いが強くなってきたのだ。
自らが動き出さないことには、どうにもならないと思うようになってきた。
人を変えようとしても、変わらないことはよくわかっている。
自分が変わる以外どうしようもないこともわかっている。

2年前からホリスティックコミュニケーション実践セミナーをはじめ、
問題を解決するためにはどうしたらよいのかということについて、
いろいろな話をしたり実習やデモをしたりして教えているのだが、
それらをやりながら、知らず知らずのうちに
自分自身の問題解決にも思いを巡らせていた。
問題を解決するための大切なポイントのひとつに
大きな変化ではなく「ほんの小さな第一歩」が重要、というのがある。

次第に私は、今の自分を変えるためにできる
ほんの小さな第一歩は何だろうかと考えるようになった。
嫌だと思う人に、優しい言葉をかけるなんてとてもできない。
大きな声で挨拶をする、というのも私には合わない。
ありがとうと、と言葉に出して言うというのも恥ずかしい。

どんなことならできるのだろうかと、あれこれ考えているうちに
内気な私にとって、人に何かをしてあげるというのはどうも苦手だが
自分の中で何かを思うというのならできそうだと思った。
そこで行き着いたのが、私の嫌いだった「感謝」だったのだ。

最近色々な本を読んでいるが
佐藤富雄さんも西田文郎さんも小林正観さんも
みなさん「感謝」の重要性を説いている。
感謝の思いが持てるようになれば、ものの見え方が変わってくる。
ものの見え方が変わってくれば、自分の行動も変わってくる。
自分の行動が変われば、周りの状況も必ず変わる。

佐藤さんらが提案している感謝ノートもとてもよいと思ったが、
私は、自分にできるほんの小さな最初の一歩は
まず「感謝するふりをする」ということに決めた。
本気で感謝しなくても「ふり」でよいわけだ。
それも心の中で思うだけでよい。
これならできそうだと思った。

でも、自分の人生を振り返ってみると
最初は理想論から出発し、
次に思うがままの自由な生き方に自分を見いだし、
再び、感謝などという理想論的な道を選択し始めた。
でも学生の頃に思っていた感謝の思いと、
今感じている感謝の思いは明らかに違う気がする。

やはりものごとは、一方向的な考えだけではうまくいかないと思った。
相反する両者を経験してこそ、その時に必要な対応ができるようになるのだ。
西洋医学と代替医療の関係にも似ている気がする。
両者のよさを知ってこそ、本当の意味での医療ができるのだ。

私はまだ自由さと理想論との融合ができているわけではないが、
少なくともその両者は経験している。
今後はもう少し自分を見つめながら、
真の融合ができることを夢見て前に進んでいきたいと思っている。
あくまでも自然の流れに乗りつつ、
でもちょっぴりだけがんばってみことにする。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/の3月26日記事を転載)

2010年6月23日水曜日

レイキとフラワーレメディ

先日の黒丸先生の休日の記事を見て
ふと、自分の休みが気になり
スケジュール表を見てみた。

あらま、前回のお休み
5月8日~10日の釜山旅行までさかのぼる^^;

今月のお休みは。。。
6月25日~27日の高野山宿坊の旅に至る

仕事のある日は、朝は6時頃に起きて8時に家を出て、
夜は10時頃にサロンを出て家に11時すぎに帰ることが多く、
睡眠時間が4時間を切ることがままあるので、

なぁんだ、こんなに眠いのは
休みがとれてないせいだと今さらながらに気づく(笑)

といっても、
ヒプノセラピストやチャネラー養成講座の講師の仕事も
セラピストとしての個人セッションの仕事も
マンツーマンの完全予約制なのでお客様次第のところがあり
お昼間にぽっかり時間が空くこともあるので
その時間にお昼寝したりして体力調整していたりするのですが。

ですが、そんな日々を乗り切れているのは
やはりレイキとフラワーレメディのおかげかなぁと
最近つくづく感じています。

宇宙エナジーを使って自分を癒すことができるレイキと
花のエネルギー水を飲むことで心のバランスを整える
フラワーレメディ

どちらも簡単に誰にでもできるセルフ・メンテナンス法です。

自然の一縁である人間
その大きな自然の力を活用することで元気になれるなんて
本当にありがたいことだなぁと

なんだかびっしり予定だらけのスケジュール表を見ながら
つくづく考えてしまいました。

久々の高野山、一泊はスタッフさんと
もう一泊はいつもながらの一人宿坊

今からとっても楽しみです♪

こころのヒーリングサロン
セルジュ・フォレスト
清流いつき

2010年6月17日木曜日

私にとっての至福の時

最近、敢えてくつろぐ日を作っている。
土日は講演やセミナー、日直などでほとんど休みが取れないため
平日に意識的に有給休暇を取って休みを作るようにした。
月に1,2回水曜日に非常勤の先生が来てくれるので
その日は原則として仕事を休むことにしている。

休みの日は、前日から気持ちがウキウキしている。
多少仕事が忙しくても明日が休みだと思うと、よしがんばろうと思える。
そして、休日の当日。
いつものように朝は3~4時頃に起きる。
見ていないビデオがあるときはそれを見る。
もっともビデオに撮るのは龍馬伝とプロレスだけだ。
それを見て5時前には病院に行き、そこで朝の仕事をこなす。

そして7時の開店にあわせて珈琲館へ直行。
そこで日刊スポーツを読みながらモーニングを食べる。
普段は朝食を取らない。でも休日はモーニングを楽しむことにしている。
スポーツ新聞を端から端まで約1時間かけてじっくりと読む。
日刊スポーツを読むのはプロレスの記事が少しだけ載っているからだ。

午前中はできるだけ映画館に行くようにしている。
彦根のビバシティシネマにもよく行くが、
あまり面白い映画がないときには近江八幡、草津、京都まで行く。
最近はまっているのが「午前十時からの映画祭」だ。
これは1950年~70年を中心とした映画の中から傑作映画50本を
週1回のペースで連続上映するというものだ。
彦根から一番近い映画館がTOHOシネマズ二条なので
最近はそこまでせっせと足を運んでいる。
ちなみに先週は「ショーシャンクの空に」
今週は「フィールド・オブ・ドリームス」、来週は「ロミオとジュリエット」だ。
興味のある方は http://asa10.eiga.com をご覧ください。

映画を見て感動に浸り、あれこれ思いを巡らせながら映画館を出る。
映画が終わる頃はちょうど昼食時となる。
いつもはかけそばしか食べないが、休日は違う。
最近は、映画館の1階にある韓国料理のお店「李朝園」に行くのが常だ。
ここで韓国料理をつまみにビールやマッコリを楽しむ。
1時間くらい昼から酒を飲みながら、ボーッと考え事をする。
映画を見た後の感動とアルコールによる適度な高揚感が
何とも言えない至福の時を生み出すのだ。
そんな時にあれこれと考えていると、ふと、面白いアイデアが浮かぶ。
こんな瞬間が、私はたまらなく好きなのだ。

腹も満たされ、ほろ酔い気分になったところで今度は京都駅へ向かう。
お決まりは京都八条口にあるアバンティにあるブックセンターで
ぶらぶらしながら面白そうな本を探す。
もっとも先日は酔い覚ましのためにパチンコ屋さんに入ったら
2,000円で32,000円儲かった。1時間半で3万はおいしかった。
すっかり酔いも覚め、本屋でプラプラしながら本を買う。
儲かって気分もよかったので、1万円くらい本を買った。

今年は本を読むことにしているので、積極的に本も買っている。
正月には1年で300冊読むぞと思っていたが、
1月末には200冊と早くも下方修正、2月末には150冊とさらに修正。
現在5月中旬でちょうど50冊読んだので、
まあ、何とかいけるかなってな感じになってきた。

その後は適当な時間に再び彦根まで戻る。
電車の中で本を読むのも好きだ。もっとも寝ていることも多いが。
南彦根からはプラプラ歩きながら家に帰る。歩いて約20分の距離だ。
もっとも途中また本屋に寄ったり、喫茶店で一服したりすることも多い。

家には5~6時頃には戻る。
仕事があるときはだいたい8時頃に家に帰るが、
何もないときは6時前には家に帰る。
家に帰ったらすぐにビールを飲む。これがまたうまい。
1日重労働?をした後のビールは、昼に飲むビールとまた違い、
その日の疲れを洗い流してくれるような心地よさがあるのだ。
通常は缶ビール350mlを1本と日本酒2合、焼酎のお湯割り1杯くらいだが、
家に早く帰った日は、これが倍くらいの量になる。
まあ、休みの時くらいいいですよね。

ほろ酔い気分になると、無口な私も多少はしゃべるようになる。
先日は久しぶりに娘に数学を教えてあげた。
二直線が垂直に交わるときの「mの値」を求めよという問題。
高校時代は数学はメチャクチャ得意だった。
でもあれから30年以上が経っているが、結構覚えているものだ。

平凡だけれども、こんなほのぼのとした時間が持てるというはいいものだ。
やっぱり酒を飲むと、気分もウキウキしてきていいもんだ。
でも早く飲み始めたときは、眠気も早く来るので8時頃にはもう寝る。
お酒を飲み、満腹になり、
さあ寝よう、と思って布団に入ったこの時、これも至福の瞬間なのだ。
もっともこの心地よさは1分も持たない、すぐに深い眠りに入ってしまうのだが。

こうして私の楽しみにしていた休みの日が終わった。
私にとっては1日が完全に休みであること、映画が見られること、
昼からビールが飲めること、喫茶店で思索にふけられること、
一人でボーッと過ごせること、本屋巡りができること、
これらすべてが幸せを感じる時なのだ。
日々ストレスを抱えながら仕事をしていると
こんな時間って絶対に必要だなと、最近はしみじみと思う。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/5月14日分より転載)

2010年6月10日木曜日

まもなく父の日/父への思い

先月の母の日に続き
今月20日(日)は父の日ですね

私の父は一昨年に亡くなり
まだ2年ですが、
今年が3周忌になるそうです

年齢的にはダブル・セブン
77歳なのでそんなに早くはありません

ですが、
リュウマチで
手足の変形があり痛みも強かったため
生薬である新薬の投与を受けるための検査入院をして

検査を受ける前に赤血球の減少により
亡くなってしまいました

亡くなる数時間前まで
私が一人で付き添っており
着替えのために自宅に戻っていた間の急変

通夜の夜も夜通し付き添いましたが、

最期を看取ることができなかったせいか
いまだ実家に帰ると父がいるような
そんな錯覚を覚えてしまいます

ですが、
父への思いは人それぞれ
良い思い出ばかりとは限りません

その思いが
今の人生をつらくさせてしまっている方も
けっこういらっしゃいます

そんな皆さまの思いを癒し
望む未来に向かって進むためのワークを
6月20日(日)父の日に
セルジュ・フォレストにて開催させていただきます

ご興味ご関心のあります方
ご参加お待ちいたしております

開催日時:6月20日(日)14:00~17:00
開催場所:セルジュ・フォレスト セミナールーム
進行役:清流いつき
参加費:3000円
お申込み:セルジュ・フォレストのHPのお申込みフォーム
     お電話:06-6227-8461 または 080-6127-1610

2010年5月31日月曜日

心や環境が遺伝子をコントロールしている!

とても刺激的な本を読みました。
「思考のすごい力」(ブルース・リプトン著、PHP研究所)です。
題名を見る限りあまり魅力的な本とは思えませんが…
原著の題名は「The Biology of Belief」であり、
直訳すると「信念の生物学」となり、これも今ひとつです。
でも中身はとてもワクワクさせられるものでしたので、
今回はこれを是非、紹介したいと思います。

私たちの細胞は約60兆あると言われており、
それらはすべてDNAに書き込まれた遺伝子情報に基づいて作られています。
そしてヒトゲノム計画により、ヒトのすべての遺伝子の暗号、
つまりDNAに書かれている「地図」の全貌が解明されました。
この遺伝子地図に基づいて特定のタンパク質が作られ、
目や鼻、肝臓、皮膚、免疫細胞といったすべての細胞が生み出されます。
この事実からすると、すべてはDNAや遺伝子によって支配されている!
と、思いがちですが実は違うのです!

DNAは自らが勝手に動きだし、タンパク質を作るわけではないのです。
このタンパク質を作るためには、
そのスイッチを押して作業をスタートさせる必要があります。
つまり、遺伝子以外の「何か」がそのスイッチを押さなければ
遺伝子地図に基づいて必要なタンパク質を作ることができないのです!

では、その「何か」とは何でしょう。
それは、なんと環境だというのです!
つまり私たちの生体機能は遺伝子によってコントロールされているではなく、
細胞の外側にある環境からのシグナルが
遺伝子を活性化させたり不活性かさせたりしているというのです!
遺伝子自身が自らをコントロールしているのではないのです!

それからもうひとつ遺伝子の働きをコントロールするものがあるのです。
それは「心」です!
環境からの信号やエネルギーのみならず、
「心のエネルギー」も遺伝子の働きに影響を与え、
細胞機能の元となるタンパク質を活性化したり抑制したりしているというのです!
しかも環境エネルギーよりも心のエネルギーの方が
ずっと身体に対する影響力が大きいというのです!

こんなケースが紹介されていました。
先天性魚鱗癬(ぎょりんせん)という命にかかわる遺伝病があります。
15歳のその病気の少年に対し、メイソン医師は催眠療法を試みました。
その少年は全身がゾウの皮膚のようになっていましたが、
催眠療法によってそれが健康なピンク色の皮膚になったというのです。
この報告は「British Medical Journal」という医学雑誌に載っています。

この事実は、心が遺伝子プログラムを覆したことを示しています。
心のエネルギーがこの病気を発症、維持させている遺伝子のスイッチを
オフにすることで、この遺伝病が表に出なくなったと考えられます。
同様なことは、がんの自然治癒でも言えます。
がんの発症や増殖、転移にかかわる遺伝子に心のエネルギーが働き、
そのスイッチをオフにすることができたならば、
がんは進行しなくなったり消滅したりすることもあるということです。
遺伝子にプログラムされている地図を変えることはできないかもしれませんが、
その地図を読み取るか否かは、環境や心に主導権があるのです!

これはまさに「心の治癒力」が、
がんの進行を抑える可能性があるということではないですか!
もっとも、ここでは単に「心」と書いていますが、
その意味するところは単純ではありません。
意識、潜在意識、思考、感情、行動といったものが複雑に絡み合ったものが
ここで言う「心」なのです。

今の医学は遺伝子がすべてを決定するという
遺伝子決定主義、遺伝子至上主義の考えが主流ですが、
この本で紹介されている最先端の生物学(エピジェネティックス)の世界では、
それはすでに時代遅れの考えになっています。

環境因子には温度や光、磁気、周波数といった物理的な要因もあれば、
食事、喫煙、環境ホルモンといった化学的要因もあります。
これにストレス、不安、喜び、希望、イキイキ感といった心理的要因が
相互作用的にかかわっているのです。
これらすべてが、よい意味でも悪い意味でも、
遺伝子に影響を与え、それが身体にも大きな変化を与えることになるのです!

私は「心の治癒力」の重要性を昔から言い続けてきました。
この本を通して、自分が主張してきたことが
科学的にも認められてきているということが分かり、とても感動しました!
これを励みに、今後も「心の治癒力」をいかにしてうまく引きだすのかについて
さらに磨きをかけていきたいと思います!!
(http://holicommu.blog84.fc2.com/4月15日分より再録)

2010年5月9日日曜日

まだまだ、犬の骨折



傷が治らない。
手術をして入れた金属プレートの深部に感染を起こしたようだ。
初めに切開したところが、何カ月もたってから再び開いてしまった。

一旦開けて、大量の膿を出す。
洗浄して抗生物質を注入する。
黒田光線をあて、創を閉じさせる。
でもしばらくするとまた化膿する。
その繰り返し・・・

根治のためにはもう一度開けてプレートを取り除くしかないが、
それをすると2か所もある骨折部位はどうなるのか?
傷が治る保証はない。
さらにもう一度手術するには、体力も必要だ。
「まあ元気やし、悪くなったら洗うか・・」で様子を見ることにした。

ところが
ある時から、化膿しなくなった。というより頻度が減った。

家に長い時間飼い主がいると、化膿が減る。
逆にかまってやらないと、化膿するようだ。
どうも、飼い主と一緒にいる時間というものは、抗生物質よりも効果がありそうだ。
心のエネルギーの強さを思い知らされる。

無病息災ではなく一病息災という言葉がある。
病気が、犬の心の状態を教えてくれる。
治りにくい、時々化膿する傷があることが、体調のバロメーター。

病気があることが、実は健康なのだ。
傷は治してしまわない方が、この犬にとってはかえって幸せなのではないだろうか?

愛場庸雅

2010年3月30日火曜日

ホリスティックと東洋医学

4月が目前というのに
まだまだ寒い日が
続きますね。

3/28に行われました。
ホリスティック医学概論セミナーに
ご参加頂いた皆様、
有難う御座います。
少し内容に欲張り
東洋医学のご理解頂け難い方も
いらっしゃった様に
感じられましたので
ホリスティックと東洋医学の
お話をさせて頂きたいと思います。

ホリスティックとは
上記をご参照いただくと定義されています。

東洋医学のベースとなる
「陰陽論」で表現しますと
・病は悪い事でありますが、
 気づきが得られることもあります。
(陰に中にも陽がある)

・体に良いとされる事でも
心に負担が多いとかえって有害となることも。
(陰だけ、陽だけでは存在できない)

・心や体が動き過ぎ、動かない過ぎは
かえって病となる事もあります。
(陰極まれば陽、陽極まれば陰)

部分的なことでは、
良い事と思われる事も
「全体」「まるごと」「とらえる方向で違った見解」で
見ると悪い面があります。

例えば、食養生で
肉食をやめる事を始める。
病となってしまったお体には
良いかも知れません。
しかし、精神的苦痛がひどいと
自己治癒力が低下してしまいます。

逆に「あれもほしい、これもしたい」と
欲求のままに生活を続けるようであれば、
自身の生命力を削ってしまいます。

心とからだ、どちらからも
相対的にとらえ、バランスを考える。

心身のみでなく
家族、社会、経済、自然など
一方面のみではなく様々な方面から
バランスを考える。

ホリスティックと東洋医学は
同じではありませんが、
大きく相関性があることと思います。

青龍サコダ鍼灸治療院 迫田 敬一

2010年3月26日金曜日

またもや・・、犬の骨折




あれから1年・・・
「少しでも自由に動けるように」と、飼い主はついに車椅子を購入し、犬に付けた。
前脚と車椅子で動けるようになった犬は、ストレスも減り、元気いっぱい。

前脚が鍛えられて、寝返りを打つこともできる。前脚と歪んだ後ろ脚で、1分間くらいは立っている。
大腿の金属プレート挿入部に感染を起こし、ときどき血性の膿が出ているのにもかかわらずである。

一体、この犬に痛みの感覚はあるのだろうか、と思ってしまう。
ヒトでいえば80歳になろうとする老犬。
同じ状態の人間なら、とっくにあきらめて寝たきりになってしまうだろう。

動けるうれしさが治癒力を高めているのだろうか。
無心の強さを思い知らされる。

と、振り向いた瞬間、
足元にあった犬の車椅子にけつまづいた。
「あっ、痛いっ!」

かイヌしの骨折。
犬とリハビリ競争をするはめに・・・

2010年3月17日水曜日

潔く、健やかに



ホリスティック医学協会(本部)では、本年11月14日のシンポジウムで、アンドルー・ワイル博士の出演する、「ガイアシンフォニー第7番」を上映し、協賛することになりました。
先日の東京での会議の折りに、龍村仁監督直筆のお礼状を見せて頂きました。
はがき1枚に毛筆で書かれたお礼状は、次のような言葉で結ばれていました。

「全ての生命が潔く健やかに生き続けるために」

「そうなんだ」と、腑に落ちた感じ。気に入りました。
我々のいのちは、他の多くのいのちの犠牲の上に成り立っています。自然界はこのいのちの連鎖という自然のしくみを粛々と受け入れています。

自分が病気になった時は、病気はつらい、良くなりたい、助かりたい、死にたくない、のも確かな本音ですが・・・、
世界最高ともいえるレベルの医療を受けられるありがたいニッポンにあって、それでもなお医療不信がつのるばかりの人々。
やれ代替医療だ、統合医療だ、と「健康」を追い求める人々。
癒しを求める人々の群れに、疲れきっている医療従事者たち。
一方では、どうしても避けられない医療の不平等。

人々の健康を願い、健やかに生きることのお手伝いを、微力ながらできることを誇りに思いながら、
それでも感じる疑問があります。

病や障害、そして死も、実は健やかに生きていることのひとつの場面なのではないか。
死、老い、病気を、いさぎよく受け入れることも、いのちの健やかさではないのか。

そんなメッセージを感じました。
どんな映画になるのか、今から楽しみです。

愛場庸雅

2010年3月16日火曜日

3月28日。予告・・

3月28日の
ホリスティック概論セミナーにて
「東洋医学とこころのバランス」と題しまして
お話をさせて頂くこととなりました。

今回、概論のお話を黒丸先生
東洋医学をテーマに各論として
野網先生と私です。

私の内容ですが、皆様の東洋的素因と
ユング心理学から
陰陽論の解説です。

ユングについて
カール・グスタフ・ユング
(Carl Gustav Jung、1875年―1961年)
スイスの精神科医。深層心理について研究し、
分析心理学(ユング心理学)の理論を創始。
無意識に関心が大きく
「人類の歴史が眠る宝庫」と
たとえている。

東洋思想に影響を受け
分析心理学に陰陽論的な
側面があるので
今回、東洋医学をご紹介させて頂くのに
引用させて頂きました。

私の診療でユング心理学を
カウンセリングしている訳ではありませんが、
・意識(表現している自分)
・無意識(表現していない自分。人類共通の無意識を含む)
意識と無意識のバランス(陰陽論)を図ることが、
「患者様らしく表現するお手伝い」と
心がけていますので
患者様にお話するのに
たいへん便利に使わせて頂いております。
(ユング心理学だけに影響されている訳でもありません)

無意識は押さえすぎると
「影」と呼ばれ
意識を弱らせ
表現を無意識が乗っ取ります。
すると身体的、精神的、社会的などに
多大な悪影響が現れますので
注意が必要です。

たとえば、
思考的な方は、
芸術や癒しなどで
感動や安らぎ
感覚、直感、感情など
少しでも表現できれば
「影」とはならないでしょう。

東洋医学は陰陽論をベースに
五行論があり鍼灸、氣功などが
施術されます。
しかし、陰陽(バランス)を考えない
施術は厳密には東洋医学ではありません。

心のバランスを考えるセラピーは
東洋医学といえますし
「良い物はたくさん施術すれば良い」
お考えは東洋医学的ではありません。
(東洋でされているセラピーという
見解では東洋医学ですが・・)

しかし、それで患者様に
有効であれば陰陽に
こだわる事が無くても
まったく問題ありません。

当日、テストもご用意させて頂いておりますので
お楽しみにしてください。

私自身。
黒丸先生、野網先生の講演も
楽しみにしております。
(くしくも昨年のシンポで
 お酒に○○なメンバーですが・・・)

青龍サコダ鍼灸治療院
 迫田 敬一

2010年2月26日金曜日

エコのお話・・


先日、パーマカルチャースクール
デザインコースで
お知り合いになったエコロジローさんの
講演に行って来ました。

ジローさんは
とても多彩で薬剤師で環境カウンセラー
更に講演では落語と腹話術を用いて
「お笑い環境士」として
講演活動をされています。

今回は、
「光熱費年間9万円の楽しいエコライフ」
と題して分かり易くて楽しい講演でした。

エコロジローさんは
光熱費(電気、ガス)年間9万円で水道は最低料金だそうで、
無理をしているのかと思いましたら、
エコライフを
楽しんでされているということでした。

お話の中で
日本の家庭(3人以上)の
食費(外食含む)は
月平均83000円だそうです。
皆様のご家庭はいかがでしょうか?
そのうち
米:2500円
パン:2300円
麺類:1700円
意外なのが
お菓子類:6300円
日本人の主食は「お菓子」
というデータでした。

もう一つ
日常生活に必要なエネルギーは
カロリーでいうと
テレビ4時間:500cal
燃費10kmのガソリン車で10km走行:8000cal
お風呂1回:6000cal
お風呂と車でかなりのエコになるそうです。

無理をするのも良くないですが、
何もしないのも良くないなぁ

人の「からだ」も「こころ」も
同じで
頑張りすぎも良くないし
頑張らないのも良くないと
と考える機会でした。

最後に講演のなかで
ドイツ心理学者カール・ビューラーの言葉をご紹介いたします。
「人間は、もともと持っている機能を使えば使うほど喜びを感じる」

青龍サコダ鍼灸治療院 迫田 敬一

2010年2月23日火曜日

死の臨床研究会近畿支部大会を終えて

2月21日、死の臨床研究会近畿支部大会を無事終了した。
ようやく肩の荷が下りた、と言うのが本音だ。
今ホッとした気分で、このブログを書いてる。

今回は江原啓之さん、沼野尚美さん、
櫻井かづみさん、吉澤明孝先生というメンバーだった。
先ずは沼野さんの話からスタート。
沼野さんは、本当に話がうまいですね。
考え方もとても柔軟でしなやかなんです。

彼女にとってのスピリチュアルペインとは、
自分の思い通りにならないことに対する心の底からの叫びであり、
その苦悩を和ませ、人生の意味を見いだすためのお手伝いをするのが
スピリチュアルケアだという考え方だ。

ではどんな人がスピリチュアルケアをすることができるのか。
実は誰でもできる可能性がある。
掃除のおじさんでもできるスピリチュアルケアもあるし
経験を積んだ宗教家にして初めてなし得るスピリチュアルケアもある。
ただその際大切になってくるのは、
援助者自身の資質や人柄である。
技術や能力というものも大切だが、その人の人間性の部分、
ここが重要なのだ。
だからこそ技術を持っていないそうじのおじさんでも
時には人を癒すことができるのかもしれない。

次に登場したのがアロマセラピストの櫻井かづみさんだ。
彼女はアロマセラピーのことを
言葉を使わないコミュニケーションスキルであり、
生と死に向き合うためのサポート手段のひとつだと言っていた。
アロマセラピーによる心地よさが、
その人の生きているという実感を強く感じさせ、
それが死に直面するためのエネルギーとなるのだという。

三人目の演者は要町病院の吉澤明孝さんだ。
彼は実は私の高校時代の同級生でもある。
彼は在宅ケアなどにも取り組む一方で、
代替療法にも熱心な医者だ。
終末期のがん患者さんに対する代替医療は、時に、
まだあきらめたくないという思いを強く持っている患者さんの
苦悩を和らげてくれる。
その意味で代替療法も
ひとつのスピリチュアルケアになりうるというわけだ。

また在宅や病院における患者さんへの取り組みを撮った
DVDも紹介してくれた。
その中にソシオエステで表情がガラッと変わった患者さんがいた。
亡くなる2週間前の映像とはとても思えないほど輝いていた。
ソシオエステも立派なスピリチュアルケアなんだと思った。

そして最後は江原啓之さんだ。
話すことがないと言いながら結局1時間半しゃべり続けた。
彼が一番に言いたかったことは
スピリチュアルケアをする上において最も重要なのは
その人の人格や人間性だということだった。
人生の苦難を乗り越えることができるような
自分なりの哲学をしっかり持っていて、
小我ではなく大我に生きる人、
そんな人でなければ人を幸せにしてあげることはできないというのだ。

いささか理想論のようにも思えなくもないが、
ある意味正攻法であり、正しいとも思う。
ただ私にしてみれば、江原さんの「幸せな人は意地悪をしない」
という言葉の方が響いた。
意地悪をされたら、
この人は自分が幸せではないから人に意地悪をするんだな、
と思えばいいというのだ。
よくいじめられる私にとって、この言葉は救いだ。

また山谷地区に建てようとしていたホスピス施設が
住民の反対にあい頓挫しているという話にもショックを受けた。
住民は、末期がん患者の収容施設建設反対!という旗を
町中に掲げて反対運動を繰り広げているという。
マザーテレサやキューブラロスが同様の施設を建設しようとしたとき
住民から反対され迫害されたことを思うと、
江原さんも同様の運命を歩む人なのかもしれないなと思った。

今回4人の演者の話を聴いて感じたことは
スピリチュアルケアには、決まった方法があるわけではなく
様々な視点の様々な関わりがあってもいいのではないかということだ。
またスピリチュアルケアを実践する人は
技術や知識に勝るとも劣らず、
その人自身の人間性や人柄というものも重要になってくるということだ。

ついつい技術やテクニックに偏りがちな私にとっては
心に突き刺さるものがあった。
これからは自分の内面にも目を向け
もう少し自分が成長できるよう努めていこうという思いになった。
とかくケアをしようとする人間は、そのテクニックを磨こうとする。
しかしもっと大切なことは自分の心を磨くことなのだ。
それが結果として、自分の行うケアの質を上げるというわけだ。
とても重要なことに気づかされた1日だった。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/より再録)

2010年2月17日水曜日

ボクは信じているよ




    ボクは信じているよ

  作詞:山田義帰  作曲:宮城マモル  編曲:中原健太朗         

1 キミが今どんなに辛いのか 分かっているつもり
  でも代わってあげることは できないんだ
  それって キミの人生の 宝なんだ
  幸せは不幸な姿で 現われてくることが 
  あると 聞いたことがあるんだ

 ※ でもキミが この経験を 乗り越えたら
   今まで不幸だと 思っていただろうけど
   きっと幸せがやってくるんだ
   ボクは信じているよ

2 もしとても辛いことがあったら 「ありがとう」と言ってごらん
  楽しくて幸せだと感じたら 「感謝します」と言ってごらん
  また新しい幸せが やってくるんだよ
  キミが本当に幸せになる 姿が見えるんだ 
  だから今は歯を食いしばって 頑張って笑顔を見せるんだ

 ※ くりかえし

  ねぇ~ボクたちはいろんな事を
  経験するために 生れてきたんだって
  人生には苦しいことや 悲しいことが
  たくさんあるけど それも大切な経験(こと)なんだって

 ※ くりかえし

  決して嫌な言葉や 嫌な態度を
  見せちゃダメだよ 幸せを呼ぶには
  いい言葉といい思い いい笑顔といい態度
  何度でも言うよ
  「ありがとう」「感謝します」という
  大切な言葉は忘れないで

 ※ くりかえし

  ボクは信じているよ  ボクは信じているよ 














2010年2月4日木曜日

立春


今日は、立春です。
二十四節季の始まりの日です。
これは、太陽の位置を表して
大気中の「氣」の量と
生活での発散と安静の
参考になります。

中心から円の周りに
線を引き
白(陽)の部分が多いと
大気に氣が多く
運動、精神活動など
発散しても体に悪い影響が少なく
活動的で良い時期です。

黒(陰)の部分が多いと
大気に氣が少なく
発散すると体に悪い影響が多いです。
活動を控えたほうが良いです。

個人差があり
心身ともに充実して
氣がたくさんある方は、
年中、発散できる力を
お持ちになっています。

しかし、
陰陽(太極)図を人間の一生と考えると
(春が20歳ごろ、秋が40歳ごろ)
氣がたくさんあるからと言って
使いすぎていると
将来、持たなくなる可能性があります。
このタイプの方は、
氣がなくなって
症状、痛み、精神不安などが
現れているのに
意識的にも生理的(体の反応)にも
発散・興奮され
ますます、消耗していく方が
多く見られます。
自然に合わせた生活が
おススメです。

氣の少ない方は
例えば、立春から
氣は発散してきますので、
のぼせ感、歯茎の腫れ、冷え
胃の調子が悪い、
発散で氣が減り冷えに弱いので
風邪を引き易いなどの
症状が発症し易いです。
本来、氣が少ない方と
本来は多い方が減少している方です。

少ない方は立春では、
まだまだ発散しない方が良いでしょう。
汗をかく、ストレス過多
食べ物では甘味、辛味が発散します。

冬至と夏至は
中心から線を引くと
途中に円があります。
極まっているときには
夏は休養(陰)
冬は外部から暖める(陽)など
必要です。

皆様のお体と相談しながら
ご参考にして頂ければと
思います。

青龍サコダ鍼灸治療院 迫田 敬一

2010年1月27日水曜日

こむら返り~

暖かな日も時折感じられますが、
まだまだ、寒さが厳しいですね。

この時期、暖かい日の後
寒くなると風邪を引く方に加え
寝違い・ギックリ腰
こむら返りなど
筋肉を傷めてご来医院される
患者様が多く診られます。

筋肉のダメージだけですと
施術により
あっさり治りますが
冷え易い体調の方は
回復力が弱ってしまい
日にちがかかります。

溜まったお疲れの回復が
重要です。

今回は「こむら返り」を
少し和らげる方法を
ご紹介させていただきます。

こむら返りが起きた
足が右ならば
左回りに
足が左ならば
右に回りに
体を回転させます。

正常な足をコンパスの中心とし
回ります。

お部屋が広い場所で
安全でしたら
寝たまま
コロコロ
転がって頂きます。

スペースが無い場合には
立ってコンパスのように
目が回らないように
回って頂きます。

ただし立つ事もできない
急性期には
立つ方法は
止めてください。
足の親指を
引っ張ったりした方が
良いです。
急激な痛みが治まった後に
おすすめです。

青龍サコダ鍼灸治療院 迫田 敬一

2010年1月10日日曜日

スポーツとホリスティック


最近、京阪電車の駅でみられる、ひらかたパークの「ひとりバンクーバー」を見て、笑ってしまった人は多分私だけではないでしょう。
 
オリンピックも間近ですが、考えてみるとスポーツで勝つにもホリスティックなパワーが必要ですね。

 どんなスポーツでもそうなのですが、体が重要なのは言うまでもありませんが、単に体力がある、力があるというだけでは勝てないようです。

トップアスリートともなれば、ある一瞬に集中するメンタルな力、ピンチでもあきらめない心、冷静な判断力、そういう心の動きが勝負をきめることがよくあります。

さらに、「気」。意気込み、気合い、エネルギーフローのコントロールは実はスポーツの重要な要素です。
また、ホームゲームの地元の利ともいわれるように、実は応援している観衆、サポーターの気が勝敗に影響することも感じられます。

それでは、「霊性」は?
以前、柔道の決勝でヤワラちゃんこと田村(当時)選手が敗れた時、「敗れた瞬間、それを上から見下ろしている自分がいた」とコメントしていたのを思い出しました。まさに全身全霊で戦ったあと、一瞬抜け出してしまったようですね。

一体、トップアスリートの選手たちは、なぜあんなに厳しいトレーニングを積んでまで競技に励むのでしょうか。
金メダルをとってもそれは必ずしも人生の成功と幸せを保証するものではなく、一時の栄光にすぎないとも言えます。ましてや明らかにそれにも届かない人たちは・・

お金や名誉では説明できないのです。きっと、その人たちのどこかに、そのスポーツにかけるスピリチュアルななにかがあるのでしょう。

それでも、出るからには勝利を目指します。その結果は、負ける人の方が圧倒的に多いのです。病から学ぶと同様に、敗北から学ぶ人生も大きな価値があるのではないでしょうか。

さて、バンクーバー五輪。
普段テレビをつけなくなって7年になる我が家でも、こういうときは別です。今年はちょっとホリスティックにオリンピックを楽しんでみたいと思います。

愛場庸雅

2010年1月9日土曜日

2010年1月4日月曜日

頭に落とす読書術

新年明けましておめでとうございます。
今年の三箇日は久しぶりにゆっくり過ごせました。
お陰で、今年の方向性を色々と考えることができました。
その中のひとつに、もう少し積極的に
本を読もうということを心に刻みました。
昨年は、あまり本は読まなかったので。

早速、この三日間で4冊ほど本を読みましたが、
その中で、これはと思った一冊を紹介します。
奥野宣之著の
「読書は1冊のノートにまとめなさい」(Nanaブックス)です。
実は1年ほど前に買った本なのですが、ツンドク状態でした。
気にはなっていたのですが、昨年は放置したまま。
先日、ふと読む気になり一気に読み終えました。

私は比較的本は読む方ですし、
大切なところにはチェックを入れます。
しかし、そうして得た情報を結局は有効利用できずに
終わっていることがほとんどでした。
しばらくすると、その本に書いてあった内容も忘れてしまいます。
せっかく本を読んだのに、それをうまく活用できなかったのです。

そのような私の悩みをこの本は解決してくれたのです!
(正確には「…くれそうなのです!」でしょうね)
簡単に言うと、1冊ずつ読書ノートをつけましょう、ということです。
でも、それって面倒くさいなあ…と思ったのですが、
その書き方と考え方が気に入りました。

1冊のノートに、「2010年1月3日、○○読了、面白かった」
といった程度のことを書くだけでいいというのです。
これならできると思いました。
大切なのは継続できることであり、先ずはそれが目的です。

そして、読書ノートを書く習慣がついてきたら、
自分が共感した文章を厳選して書き抜き、
それに対して短い自分の感想を書くという作業をします。
これでOKです。

この読書ノートを作るようになると、
読書の仕方が変わってくるというのです。
自分にとって大切なところを意識して読むようになり、
また、どの部分を書き抜こうかといった視点で
もう一度本を見返すことになるので、
より頭に残るというのです。

そして何よりも大切なのは、
本から得たアイデアをもとにして、
オリジナルの思考を得ることができるということです。
たとえばブログやちょっとした文章を書いたりするという
アウトプットする作業を通して、それらの内容はさらに咀嚼され、
段々と自分の血となり肉となりというわけです。

また、ノートに書いてある情報をいつでも取り出せるように
パソコンを使った検索、参照システムをつくります。
これを作るのも、エクセルを使い、必要最小限の情報だけを
パソコンに1行入力するだけで終わりです。
これですべて完了。

いつもは、すぐさま実行には移さない私でしたが、
これならできそうだと思ったので、
先日から早速読書ノートを書き始めました。
記念すべき最初の本は、もちろん、この著者の本にしました。

このノートのもっと気に入ったことがあります。
読書ノートといいながら、実はどんなことでも書いていいというのです。
ちょっとしたアイデアや、聴いた講演のポイントや感想、
新聞で見た気になる記事、気に入った言い回しや言葉などなど、
何でもいいので、整理せずに、時系列にどんどん書いていくのです。

私などはよく、色々な構想やアイデアを考えて、
それらを、いらなくなった紙の裏に書き止めておきます。
また講演も聴いたら、なるほどと思ったところはメモし、
その時に浮かんだ自分の考えなども一緒に書いておきます。
しかしそのような情報は、いつも書きっぱなしの状態で放置され、
そして、いつの間にか忘れ去られることになります。

この読書ノートには、こういったものも全部書けばよいのです!
これは私にとって画期的な方法でした。
整理をするのが嫌いで、いつも机の上は本や資料で一杯になっています。
これらをすべて整理できるかもしれない!という期待感で、
今はワクワクしています。

あと整理ということで、ひと言付け加えておきますが、
私の机の上には本が平積みに32冊(今現在)積み上げられています。
本棚にも入り切らなくなったので仕方ないのですが、
下の方の本を取り出すときには、雪崩が起こる可能性があります。

これは何とかならないものかと思っていたところ、
この本に「平置き本棚」(サピエンス)が紹介されていました。
早速調べてみたところ、すでに生産中止になっていましたが、
ヤフーオークションでひとつだけ出品されていたので、
すぐさまそれを落札しました(落札者は私一人でした)。
ヨッシャ、といった気分です。
でも、ツンドクをしない人には、このうれしさは分からないでしょうね。

今年の出だしは、なかなか好調ですね。
このペースでがんばらずにがんばります。
また、気に入った本があったら紹介しますね、お楽しみに。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/より再録)