2009年4月11日土曜日

さらに・・犬の骨折


写真は、あの忌まわしい骨折の一週間前、1月3日のお散歩中の写真である。
一週間後にわが身に起こる「不幸」を知ってか知らずか、幸せそうに笑っているように見える。

「不幸」と書いたが、本当にそうなのだろうか?

もし、野生動物が同じような下半身麻痺になったら、エサを捕ることができず、それは即、死を意味する。

一方、我が家の蘭ちゃんは、「寝たきり老犬」になって以来、一発「ワン」と吠えるだけで飼い主がエサを運んできてくれる。「クーン」と泣けば下の世話をしてくれる。
そして、人間が大好きで、いつでも一緒に居たいレトリーバーにとっては、常に飼い主がそばに居るのは、実は幸福なことではないのだろうか?

「疾病利得」という言葉が頭に浮かんでくる。

ホリスティック医学では、「病の深い意味に気づき、自己実現を目指す」とある。
病気や、障害、老い、死といったものを単に否定的に捉えるのではなく、むしろその深い意味に気づき、生と死のプロセスの中で、より深い充足感のある自己実現をたえず目指してゆく・・・と。

ホリスティック医学の考え方の中で、最も大事な部分だと思う。

が、たぶん犬はそんなことは考えない。
くう・ねる・あそぶ、 そして死ぬ。
動物は、単にあるがままに、その日を生きている。

ちょっとうらやましい気もする。
病の意味などという、ある意味余計なことを考えるのは人間だけだ。

今の我が家のごとく、病気の渦中で苦しんでいるときは、その日その日が必死である。
でもそれは、「あるがままの生き方」でもある。
「病の意味」を考えるなんて、そう簡単にはできない。それは、ずっと後になってからわかってくることなのだろう。


そんなことを考えていたら、足元で犬が「クーン」と啼いた。
??
あーっ、またオ○○○
飼い主の悪戦苦闘の日々は続く。

「犬の骨折に隠された深い意味」に気づく日は来るのだろうか?

愛場庸雅