2010年2月23日火曜日

死の臨床研究会近畿支部大会を終えて

2月21日、死の臨床研究会近畿支部大会を無事終了した。
ようやく肩の荷が下りた、と言うのが本音だ。
今ホッとした気分で、このブログを書いてる。

今回は江原啓之さん、沼野尚美さん、
櫻井かづみさん、吉澤明孝先生というメンバーだった。
先ずは沼野さんの話からスタート。
沼野さんは、本当に話がうまいですね。
考え方もとても柔軟でしなやかなんです。

彼女にとってのスピリチュアルペインとは、
自分の思い通りにならないことに対する心の底からの叫びであり、
その苦悩を和ませ、人生の意味を見いだすためのお手伝いをするのが
スピリチュアルケアだという考え方だ。

ではどんな人がスピリチュアルケアをすることができるのか。
実は誰でもできる可能性がある。
掃除のおじさんでもできるスピリチュアルケアもあるし
経験を積んだ宗教家にして初めてなし得るスピリチュアルケアもある。
ただその際大切になってくるのは、
援助者自身の資質や人柄である。
技術や能力というものも大切だが、その人の人間性の部分、
ここが重要なのだ。
だからこそ技術を持っていないそうじのおじさんでも
時には人を癒すことができるのかもしれない。

次に登場したのがアロマセラピストの櫻井かづみさんだ。
彼女はアロマセラピーのことを
言葉を使わないコミュニケーションスキルであり、
生と死に向き合うためのサポート手段のひとつだと言っていた。
アロマセラピーによる心地よさが、
その人の生きているという実感を強く感じさせ、
それが死に直面するためのエネルギーとなるのだという。

三人目の演者は要町病院の吉澤明孝さんだ。
彼は実は私の高校時代の同級生でもある。
彼は在宅ケアなどにも取り組む一方で、
代替療法にも熱心な医者だ。
終末期のがん患者さんに対する代替医療は、時に、
まだあきらめたくないという思いを強く持っている患者さんの
苦悩を和らげてくれる。
その意味で代替療法も
ひとつのスピリチュアルケアになりうるというわけだ。

また在宅や病院における患者さんへの取り組みを撮った
DVDも紹介してくれた。
その中にソシオエステで表情がガラッと変わった患者さんがいた。
亡くなる2週間前の映像とはとても思えないほど輝いていた。
ソシオエステも立派なスピリチュアルケアなんだと思った。

そして最後は江原啓之さんだ。
話すことがないと言いながら結局1時間半しゃべり続けた。
彼が一番に言いたかったことは
スピリチュアルケアをする上において最も重要なのは
その人の人格や人間性だということだった。
人生の苦難を乗り越えることができるような
自分なりの哲学をしっかり持っていて、
小我ではなく大我に生きる人、
そんな人でなければ人を幸せにしてあげることはできないというのだ。

いささか理想論のようにも思えなくもないが、
ある意味正攻法であり、正しいとも思う。
ただ私にしてみれば、江原さんの「幸せな人は意地悪をしない」
という言葉の方が響いた。
意地悪をされたら、
この人は自分が幸せではないから人に意地悪をするんだな、
と思えばいいというのだ。
よくいじめられる私にとって、この言葉は救いだ。

また山谷地区に建てようとしていたホスピス施設が
住民の反対にあい頓挫しているという話にもショックを受けた。
住民は、末期がん患者の収容施設建設反対!という旗を
町中に掲げて反対運動を繰り広げているという。
マザーテレサやキューブラロスが同様の施設を建設しようとしたとき
住民から反対され迫害されたことを思うと、
江原さんも同様の運命を歩む人なのかもしれないなと思った。

今回4人の演者の話を聴いて感じたことは
スピリチュアルケアには、決まった方法があるわけではなく
様々な視点の様々な関わりがあってもいいのではないかということだ。
またスピリチュアルケアを実践する人は
技術や知識に勝るとも劣らず、
その人自身の人間性や人柄というものも重要になってくるということだ。

ついつい技術やテクニックに偏りがちな私にとっては
心に突き刺さるものがあった。
これからは自分の内面にも目を向け
もう少し自分が成長できるよう努めていこうという思いになった。
とかくケアをしようとする人間は、そのテクニックを磨こうとする。
しかしもっと大切なことは自分の心を磨くことなのだ。
それが結果として、自分の行うケアの質を上げるというわけだ。
とても重要なことに気づかされた1日だった。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/より再録)