最近種蒔きという言葉に気持ちが惹かれている。
中川米造先生も、自分のやっていることは種蒔きであり、
自分が生きているうちには芽が出ないかもしれないが、
でもそれでもいいと言っていた。
いつか誰かが花を咲かせてくれるだろうから、
自分はそのための準備をする役目に徹しようというわけだ。
ダライ・ラマも自分の役割は種蒔きだという話を
先日のシンポジウムで上田さんが紹介してくれた。
世の中になかなか認められないことを、
みんなに知ってもらい、理解してもらうことは容易なことではない。
しかし誰かが第一歩を踏み出さない限り、
いつまで経っても何も変わらない。
そのための第一歩が種蒔きである。
ホリスティック医学もそうなのかもしれない。
その良さはある程度理解されているとは思うが、
しかし臨床の場ではまだまだといった感は否めない。
ホリスティック医学の第一人者である帯津先生も、
自分の生きているうちにはホリスティック医学の実現は難しいと思うと
最近は色々なところで書いている。
でも、それでよいのではないだろうか。
我々を含めホリスティック医学に関心のある人が一生懸命に
その啓蒙普及に努めている。
それがどれくらい世の中に影響を与えるかは未知数だ。
ホリスティック医学を実現する!という志は大切だが、
何が何でも実現してやるという思いは、執着になるかもしれない。
人はすぐに成果を期待しがちだが、
時代背景や世の中の流れというものがあるので、
やはり時期やタイミングも重要になってくる。
下手をすると、潰されてしまうことだってあり得る。
そう考えると、今は様々な方法で種蒔きをするという活動も
地味ではあるが、とても重要に思えてきたし、
そんな行動の方が今の時代にはあっているのかもしれないと
最近思うようになってきた。
私も年を取ってきたということだろうか。