2009年12月2日水曜日

神谷美恵子展ー生きがいについて


ずっと見に行きたかった
京都の思文閣美術館で開催されている
「神谷美恵子がのこしたもの」展を見に行きました。

詳細はこちら→思文閣美術館ホームページへ
学生時代、人間形成論のゼミで
神谷美恵子さんの著書のレポートが課題になりました。

わたしが選んだのは
『生きがいについて』



皇后陛下の相談者としてもよく知られている
神谷さんの代表作ともいえる本です。


何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ

この言葉は
初めてハンセン病療養所長島愛生園を訪れた時
神谷さんが記した詩の一節です。
いつも弱い人、虐げられ悲しみの中で生きる人と
ともに生きた神谷さんの人間性がとてもよく表現されています。

10代の世間知らずのわたしは
あまり聞きなれなかった「生きがい」という言葉に戸惑いながら
「生きがいについて」を読み、レポートを書きました。
若い感受性は神谷さんの決意に満ちた人生に
影響を受けました。

思文閣の展覧会では、神谷さんの残した
詩や、日記や、手紙や著作の言葉から
神谷美恵子の人生の思索と行動の軌跡をたどっています。

内務省の役人であり後に文部大臣となった父の赴任のため、
海外での生活を体験し、
成績優秀にして、詩作や翻訳に励みますが、
肺結核にかかり療養生活を余儀なくされます。

病気が治り、アメリカに留学し、
ようやく、本当にやりたかったことをやり遂げると決心します。
恵美子がやりたかったのは、医師になること。
19歳のとき伝道師の叔父と訪れたハンセン病患者の
施設多磨全生園での強い衝撃が、彼女の人生を変えたのです。

ハンセン病患者に尽くすことこそ我が「生きがい」だと
思い定めた美恵子ですが、
結婚し、子供を育て、夫を助け、家計のために必死に働き、
精神科医となり、語学教師として大学でも教鞭をとり、
GHQとの通訳翻訳を行い、
フーコーの素晴らしい著作の翻訳など数々の翻訳を手がけ、
論文を書き、詩を書きます。
そして自身の癌体験も経て、ようやく24年後、
長年の夢だった長島愛生園に勤務できるようになったのは
43歳!今のわたしと同い年の春でした。

『生きがいについて』(1966)は、精神科医として
ハンセン病患者たちに寄り添う生活の中で生まれました。


「どんな小さな仕事も、心をこめ、思いを込めることで
仕事に価値を見出すことができるようになる」

子育てに追われ、家を空けて仕事に出なければいけないときは
身をきられるように辛く、
「いつか、食べるためだけに働くことなく
自分の本当の仕事をしたい」と日記に書き記していた美恵子の
生身の言葉の数々は、
今現在、仕事と家事と子育てで、毎日目が回るような日を過ごしている
わたしにとって、10代のころとはまた違った視点で、
彼女の決意や生きがいを理解し共感し、
等身大の励ましと勇気を得ることができました。

わたしは、「初めの愛」を忘れずに道を歩いているだろうか、
大いなるものの道具として、
わたし自身を生かしているだろうか。

帰りの電車から、オレンジ色の夕陽を見ながら
自問自答を繰り返しました。


神谷美恵子展は京都出町柳の思文閣美術館で
12月20日まで開催されています。
小さな美術館ですし、派手な展示ではありませんが、
京都にいかれるときはぜひ寄ってみてください。