2009年3月12日木曜日

携帯電話は嫌い

今や小学生でも持っている携帯電話だが、私はこれが嫌いだ。

何事でもそうだが、世の中は便利、快適、安心という大義名分のもと
様々なものが開発され、実用化されたが、その結果として
どんどん忙しくなり、どんどん住みにくくなり、
どんどん危険が増してきたように思う。

新幹線のお陰で東京大阪間の出張は日帰りで行ってこられるようになった。
人は便利だというが逆に、一泊してゆっくり過ごすゆとりの時間が
なくなったと言うことだ。

夏になればエアコンが入るし、涼しくてよいと人は言う。
私のように寒いのが嫌いな人間にとって、夏の喫茶店や電車の中は
本当につらい。とても寒いのだ。だから私は一年中長袖を着ている。
夏場でも、エアコンのきいている部屋に入ったとき
すぐさま袖をのばせるようにできるためだ。

そしてまだまだ食べられる食も、賞味期限病に犯された国民の前では
当然のように平気で捨てられる。
ある本で見たことがあるが、漁獲された魚の3分の1は食べられることなく
捨てられるという記事を見たことがある。
安心、安全とは何なのだろうと考えさせられる。

携帯電話も同じだ。これが普及したことにより、今はいつでもどこでも電話がかけられる。
それはそれでとても便利だが、裏を返せば24時間拘束されているということだ。

仕事以外のプライベートの時間でも平気で携帯にかかってくる。
こちらも、気付かないうちにかかって来ていないかをついチェックしてしまう。

こんな生活をしていると、ふと思うことがある。
自分はいつ解放されるときがあるのだろうか。

もちろん携帯を切ればいいのかもしれないが、仕事上、緊急の連絡もよくあるので
それはできない。

本当はできないこともないのかもしれない。携帯はもちろん、ポケベルすらなかった
時代もあったわけであり、それはそれで何とかなっていた。

もっとも今の時代に、そんな理屈が通るはずがない。

結局、プライベートな時間はもちろんのこと、
寝るときも枕元に携帯を置きながら寝ざるを得ない。

私は束縛されるのが一番嫌いだ。
しかし、この携帯はそれを私に強いる。

せめてもの抵抗で、私は携帯でのメールはやらない。
メールは職場のパソコンでしか見ない。
これ以上、縛られたくないからだ。

一日も早く、携帯を持たない生活ができるようになりたい。
せめて、そんな日を年に1日でも持ちたいものだ。