2010年10月28日木曜日

幸せの鈴 出雲大社

今年は何かとお初が多い年ですが、
初めて“出雲大社”に行ってまいりました。

思い立ったら時間を確保でき次第出かけてしまうので、
一人旅になることがほとんどだったりしますが、
今回もちゃっかり一人旅となりました♪

日程的には2泊3日
三ノ宮駅より直通の高速バスで出雲市駅まで行き
さらに滞在中はすべてバス移動という行程でした。

学生時代は夏休みの第一週に宿題を片付けてしまい
あとは遊びほうけるという日々を送っていた私ですが(笑)

最近はどうもギリギリなグループに入ってしまっており

今年行った上海やプサンも、昨年のエジプト旅行さえも
出発前夜、夜中の2~3時頃に準備していたりするのですが

今回も類にもれず、真夜中に準備を整えておりました(汗;)

とはいえ、新幹線や飛行機、
3列シートの高速バスでいつもながらに爆睡し(笑)
目的地に着いたら、こんどは元気いっぱい!

受講生さん(ヒプノセラピースト(催眠療法士)、チャネラー等)や
創業以来のパートナーからもらった情報をもとに

自由に楽しい旅を満喫させていただいております(*^_^*)v

この時こそ、ありがたいなぁと
本当にたくさんの人に支えられて自分がいるのだなぁと
ふと気付くことができる時間でもあります。


こころのヒーリングサロン 
セルジュ・フォレスト
清流いつき

2010年10月27日水曜日

ハングルとの出会い

今、毎日のようにハングル(韓国語、朝鮮語)を勉強している。
始めたのは一昨年の10月からだから、もうかれこれ2年近くになる。
勉強し始めて半年後にはハングル能力検定試験の5級と4級に合格した。
しかしそれから1年以上が経ったが、未だ3級は受けられるレベルにはない。

そんな私だが、実はそれまではハングルなど全く興味がなかったし、
冬ソナが大流行し、ヨン様ブームが日本を席巻しているときも
私にとっては、どうでもよいことだった。
もちろんドラマを見たこともなかったし、見る気もなかった。

それが今やハングルにはまり、
是非しゃべれるようになりたいと日々?勉強している。
人とは、全くもって不思議なものだ。
では、なぜこんなにもハングルに興味を持ったのか。
きっかけは全くの偶然であった…

2年前に私は扁桃腺の手術をした。
それまでの30年間は、全くのほったらかしだった。
最初の頃は扁桃腺炎だったが次第に扁桃周囲炎になり、
最後の方は扁桃周囲膿瘍になっていった。

頻度も、以前は数年に一度くらいだったのが、
この5年間は毎年のように扁桃腺を腫らすようになっていた。
基本的に薬を飲まない私は、
扁桃腺が勝手に破れ、膿が出るまで待っていた。
破れさえすれば、あとは急速に治癒へ向かう。
そんなことの繰り返しだった。

それが段々と頻度も多くなり、ちょっと痛む程度の小発作は毎月のように起こり、
多大な苦痛を伴う大発作も年に2回起きるようになった。
このときは当然、しゃべるのもままならず、仕事にも差し障る。
たまたま講演の日だったりすると、もう最悪だ。

これから先、さらに頻度が増えることが予想されたので、
これはもう限界だと思い、2年前の4月についに手術をした。
ここまではハングルとは全く関係ないが、話はこれからだ。

手術の次の日には、もうやることがないので暇で仕方がない。
そこで昼食後、パチンコ屋さんに行くことにした。
たまたま座った台が「春のワルツ」だった。

冬ソナをご存じの方はわかると思うが、
ユン・ソクホ監督が手がけた四季シリーズの最終章が春のワルツだ。
冬ソナは、このシリーズの第2作目に当たる作品だ。
しかし、そのときは全くそんなことは知らなかった。
本当にたまたま、そのパチンコ台に座っただけだった。
そしてそこから奇跡が起こるのだ。
なんとその日は14連チャンだった。

これに味を占め、次の日も昼食後に病院を抜け出し、
再び「春のワルツ」を打ち始めた。
そしてまた奇跡が起きた。
この日はなんと18連チャンだった。

パチンコをしない人にはわからないかもしれないが、
大当たりすると玉が2500発くらい出てくる。
その間にドラマの第1話のダイジェスト版が見られる仕組みになっている。
つまり18連チャンということは第18話まで見られたということだ。
せっかくここまで来たのだから、最終話の第20話まで見たかったが、
そのあとはどうしても大当たりすることなく、仕方なくここであきらめた。
でも15箱くらいで約6万円の儲けである。気分は最高によかった。

結局、扁桃腺で入院している間にパチンコをしたのはその二日間だけだった。
入院4日目にはすでに退院し、家に戻ったからだ。
「春のワルツ」の結末がどうなるのかが少しは気になっていた。
しかしそのためだけにパチンコをするという気はなかったし、
ましてや20連チャンする確率は極めて低いこともわかっていた。
まあ、たかがドラマひとつに、そう執着する必要もないなあ、と思い
そのまま忘れかけていた。

その後、家の近所のパチンコ屋さんに行ったとき、ふとあるものが目に入った。
なんと、パチンコの景品として「春のワルツ」のDVD全7巻が置いてあったのだ。
これを見ればドラマの最終章まで見られるんだな、とは思ったが、
そうかと言って、これを買ってまで見ようとも思わなかった。
まあ、大当たりして、そのときにまだこの景品があったら
交換してもいいかな、くらいの程度だった。

それからも何回かそこのパチンコ屋さんに行った。
そのたびに、あ、まだある、と、思っていたが、
何が何でも欲しいというわけでもなかった。
事実、お店を出たらDVDのことなどすっかり忘れていた。

ところがある時、大当たりした。1万数千発くらい出た。
その時まだ、そのDVDがあったので、よし、今日、交換しちゃえ!
そう思い、とりあえず「春のワルツ」のDVD全7巻を手に入れた。
次の日から早朝病院へ行き、仕事前に1話ずつ見るのが日課になった。
何話か見るうちに、もうすっかりはまってしまったのだ!!!

もう、無我夢中で見ていた。続きが見たくて出張先にも持って行った。
結局、このDVDは3回見た。
さらに日本版ではカットされている場面もあることを知り、
インターネットで韓国語版「春のワルツ」も購入した。
本や写真集、小説などの関連グッズもすべて買った。
久しぶりにはまった、という感じである。

そうなってくると、今度はドラマを字幕なしで見たくなった。
当然、そのためにはハングルを勉強しなくてはならない。
がぜん、やる気が出てきた!よーし、ハングルを勉強してやる!!
早速、本屋で一番簡単そうな超入門の韓国語会話の本を買った。
それを何度も読み、何度もCDを聴いた。
以来、ハングルの勉強は今も続いている…というわけだ。

本当にちょっとした「きっかけ」により、
こんなにも人は変わるものなのだということを、体験を持って知った。
もし、扁桃腺の手術をしていなかったら
もし、パチンコに行っていなかったら(これはないかも…)
もし、「春のワルツ」の台に座っていなかったら
もし、パチンコで大当たりしていなかったら
もし、春のワルツのDVDを景品に置いていなかったら
もし、その後DVD全7巻が取れるほどの大当たりをしていなかったら
…そんなことを考えていると、ハングルを学ぶ「きっかけ」を持てたというのは、
まさに奇跡に近いような気がしてきた。
こんなにも偶然が積み重なるわけないのだから…

でも、あれこれ考えながら、ふと思った。
もしかして、これって、偶然ではなく、必然のことなのだろうか…と。
(http://holicommu.web.fc2.com/7月28日のブログより転載)

2010年9月22日水曜日

お酒の楽しみ

私はお酒が好きだ。毎日晩酌もしている。
通常は家で缶ビール500ml(冬場は350ml)、
それに日本酒1~2合と焼酎のお湯割り1杯程度だ。
私にとっての適量はこれくらいだと思っている。

よく缶ビール350mlくらいを適量と言っているが、
全くナンセンスな話だ。
酒が飲めない人にとっては致死量かもしれないし、
一升酒を飲める人にとっては
ノンアルコールビールと変わらない程度の量だ。
人それぞれの体質やアルコールの強さによって違うのだから、
これが適量などと、いい加減なことを言ってほしくない。
十把一絡げもいいところだ。

また、この程度の酒を毎日飲むのは健康にもとてもよいと思っている。
適量のアルコールを飲む人は、
お酒を飲まない人に比べ長生きするというデータもある。
これは実感として分かる気がする。

一日の仕事をやっと終え、家路につく。
家に帰ってからの一杯は格別にうまい。まさに至福と時だ。
あとは食事をしながら、チマチマと酒を飲む。
こんなリラックスできるときは、この時間をおいて他にはない。
一日一回、このようなリラックスタイムがあるのだから、
それはストレスも吹っ飛び、心の健康には最適だろう。
当然、リラックスできるのだから、それは身体にもよいに決まっている。
適度な酒が健康によいというのは十分にうなずける話だ。
そんなわけで誰がなんと言おうと晩酌は続ける!自分の健康のためにも!

もっとも私の場合は、土日の講演やセミナーなども多いため
外で飲むことも少なくない。
平均すると月に6~7回くらいは外で飲んでいるかもしれない。
そのときは居酒屋さんでワイワイと飲むのが好きだ。
気が置けない仲間と飲む時はなおさら盛り上がる。
当然、時間も長くなり3~4時間は飲んでいることが多い。
それに伴い飲む量も多くなるのは言うまでもない。

たいていは、まず生ビール4~5杯といったところだろうか。
ビールが飽きると日本酒か焼酎に移るのが常だ。
日本酒も4合くらい飲んでしまう。
焼酎もお湯割りを3~4杯は飲むだろう。
ここまで来ると、確かに適量とは言えないかもしれない。
事実、記憶が定かではないこともしばしばだ。

年を取ってから、特に記憶がなくなることが多くなった。
明らかに肝臓の働きは若い頃に比べると落ちていると思う。
楽しくなるとつい飲んでしまい、酔っ払う。
酔うと気分がよくなるからさらに飲んでしまう。
そうなると記憶がおぼつかなくなる。
家には何とかたどり着くが、どうやって帰ったのかがよく分からない。
断片的な記憶はあるが、それがつながらなかったりもする。

先日もセミナー修了後、みんなで居酒屋へ行った。
5時過ぎから飲み始め、終わったのは9時頃だった…ようだ。
京都駅のとなりに山科駅があるが、そこから新快速に乗った…はずだ。
ところが寝過ごしてしまい、終点の米原まで行ってしまった。
仕方なく反対方向の列車を待ち、乗り換えたが、
今度は戻りすぎて野洲まで戻って来てしまった。
明るく輝く「野洲」という駅の表示は記憶に残っているのでこれは事実だ。

やむを得ず再び反対方向の列車に乗ったのだが、
今度は米原をも越えて田村という駅まで行ってしまった。
ここは長浜のひとつ手前の駅だ。かなり遠くまできたものだ。
ここでも戻ろうと思っていたが、もうすでに最終電車はなかった。
結局、そこからタクシーで帰る羽目になった。
家に着いたのは午前0時をだいぶ過ぎていた…と思われる。

飲み過ぎると、たまにはこんなこともある、たまには、である。
この間は新神戸から新幹線で帰ったのだが、
米原を通り過ぎて岐阜羽島まで行ってしまった。
当然、帰る電車もなく、仕方なく駅前のホテルに泊まった。
新幹線で乗り越したのは初めてだ…私の記憶では…
まあ、これもたまには、のひとつに入れてもらおう。

でもやはり飲み過ぎると、電車代やタクシー代がかかるので
経済的にはあまりよくないことだと思う。これは正直認める。
では健康的にはどうかと言われると、これはなかなか微妙なところだ。
確かに、多少身体に負担がかかるであろうことは予想されるので、
飲み過ぎるのは,決してよいことだなどと言うつもりはない。
しかし、とても楽しい時間が過ごせるので精神的には大いにプラスだ。
でも記憶がなくなると、次の日は気分的落ち込むので、
その点を考えるとトータルで差し引きプラスマイナスゼロと考えている。
そんなの、たんなる酒飲みの言い訳だと思われるかもしれないが…言い訳だ。

要するに、外で飲んだときも飲み過ぎずに、
家で飲むとの同様に楽しめればいいのだ。
そうすれば、毎日が至福の時となり、良いことずくめだ。
…だとわかっていても、それができないのが凡人の悲しいところだ。
(http://holicommu.web.fc2.com/7月12日のブログより転載)

2010年8月31日火曜日

ホメオパシー報道について

先週の8月25日付けの朝日新聞に大きく取り上げられた
ホメオパシーに関する一連の報道について
私個人の意見を述べさせてもらいたいと思います。

これは山口で、ビタミンKを投与されなかった新生児が
頭蓋内出血を起こして死亡した事件で、
担当の助産師がビタミンKの代わりに
ホメオパシーを投与していたことが明るみに出たことから、
ホメオパシーを医療現場から排除するべきだという見解を
日本学術会議金澤一郎会長が発表、それが報道されたものです。

金澤会長はホメオパシーに対して、
「治療効果は科学的に明確に否定されて」いる治療法であり、
それを信じ、それに頼ることにより、
確実で有効な西洋医学的治療を受ける機会を
逃す可能性があることが大きな問題であり、そのようなことが起きないよう
「医療関係者がホメオパシーを治療に使用することは認め」ないし、
また「医療現場からこれを排除」すべきだと述べています。

金澤会長の談話や朝日新聞の報道には、いくつかの問題があるかと思います。
まず今回の事件に関しては、
助産師が新生児にビタミンKを飲ませなかったことは
明らかに問題だと思います。これは否定しません。
ただその問題と、ホメオパシーを全否定し、それを医療現場から排除すべきだ、
ということとは別問題だと思っています。
これがホメオパシーではなく、漢方薬だったり、
他の代替療法だったりする可能性もあったはずです。
しかし、それがたまたまホメオパシーだったということで
やり玉に挙げられた可能性は十分にあります。

金澤会長は1年半前からホメオパシーに目を付けており
何かの折にホメオパシーを叩く思いは十分にあったことが予想されます。
もっとも日本ホメオパシー医学協会(会長:由井寅子)も、
医者や西洋医学に対する反発心が根底にはあるようなので、
ホメオパシーの信者に悪しき影響を与える可能性は否定できません。
そんな団体が大きくなり、世の中に影響力を持つようになることに対して
大きな危機感を持ったのは確かなようです。
そのような危険を避けるために今回のような事件をきっかけに
日本ホメオパシー医学協会潰しにかかったのではないでしょうか。
ホメオパシーも、とんだとばっちりを受けてしまったといった思いです。

さて、金澤会長はホメオパシーの有効性についても触れていますが、
実際には治療効果が明確に否定されているわけではありません。
否定的な論文もありますが、有効であったという論文もたくさんあります。
ですから、有効性に関しては肯定もできないが否定もできない、
というのが正確なところだと思います。

なお有効性が証明されていない治療法に関しては
西洋医学にもたくさんあります。
例えばアービング・カーシュは抗うつ剤に関する論文を調べ上げ、
実は、プラシーボとさほど変わらないことを発表していますし、
2002年のNEJM(有名な医学論文)には、変形性膝関節症に対する
関節鏡手術はプラシーボ手術と効果は変わらなかったと発表されています。
つまり、これらのうつや痛みの症状が改善されたのは、
すべてプラシーボ反応(効果)によるものだというのです。

ホメオパシーが効くと言われるのも、
このプラシーボ反応に過ぎないと金澤会長は言っていますが、
私は、プラシーボ反応は医学の治療には
なくてはならない要素だと思っています。
プラシーボ反応とは、心の治癒力そのものです。
何かの「きっかけ」があり、それによって心の治癒力のスイッチがONになる。
その結果、痛みが取れたり、症状が改善したりするというのは
臨床現場ではしばしば経験する、ごく普通の現象です。

医者の「大丈夫ですよ」というひと言で、スーッと胃の不快感がなくなったり、
生理食塩水の点滴でめまいが取れたり、
胃薬を睡眠薬と間違って飲んでも、よく眠れたり等々
これらは、医者のひと言や点滴、薬が「きっかけ」となり
心の治癒力が引き出された結果です。

このようにプラシーボ反応は
治療現場では切っても切れない存在なのです。
これにより患者さんの心の治癒力が引き出され、
症状が改善するのであれば、それも大切なことだと思っています。
ですからホメオパシーの投与により心の治癒力が引き出され、
症状が改善されるならば、
副作用のある薬を使うよりも、有用である場合が多いと考えています。

そもそも臨床の現場では
医者と患者とのコミュニケーションもかかわってきます。
薬の有効性だけを取り上げ、云々言うのは
患者の気持ちやコミュニケーションといった「つながり」の部分を無視し、
現実離れした議論になってしまう危険性があります。
この点は、しっかりと押さえておかなくてはいけない点だと思っています。

またホメオパシーを信じることにより、
有効な西洋医学の治療を受ける機会を逃す可能性にも言及していますが、
これはホメオパシーだけが唯一絶対の治療法だと思い込んでいる
一部のホメオパシー信仰の信者さんの問題だと言えましょう。
これが唯一絶対などという治療法はありませんので、
通常は西洋医学的治療とホメオパシーなどの代替療法を比べ
必要に応じてそれらの治療を使い分けるというのが一般的だと思います。
この一部の信者さんがいるためにホメオパシーを排除するというのは
ホメオパシーを適切に利用している医療従事者や一般の人たちにとっては、
大きな迷惑以外の何者でもありません。

なお日本医師会も金澤会長の談話に
賛同しているとのコメントを出していますが、
医師らで構成されている日本ホメオパシー医学会(会長:帯津良一)に対しては
今のところ、特段の申し入れ等をする予定はないとしています。
金澤会長は医療の世界からホメオパシーを排除するべきだと言っていますが、
西洋医学的治療にホメオパシーを取り入れる、
という考え方で治療に取り組んでいる日本ホメオパシー医学会に対しては、
日本医師会もそこまで強くは考えていないのではないでしょうか。
もっとも医師法や薬事法からみても医者がホメオパシーを使ってはいけない、
ということにはならず、実際には医療の世界からホメオパシーを
排除することはできないと考えています。

ホメオパシー信仰の信者さんも考えものですが、
西洋医学信仰、科学信仰の信者さんも、どうかと思いますね。
みんな自分が正しいと思い込み、相手を非難するというのが世の常ですが…。
まあ、これをきっかけにホメオパシーや他の代替医療に関する
ディスカッションが大いになされることを私は期待しています。
(http://holicommu.web.fc2.com/8月31日のブログより転載)

2010年8月10日火曜日

ついに、運動を始めました

最近、ちょっぴり運動に目覚めた。
1ヶ月前くらいから車通勤をやめ、徒歩通勤に変えている。
と言っても、雨の日は今まで通り車通勤だし
徒歩通勤と言っても早歩きで20分程度の距離だ。
まあ、出だしとしては手頃なところだろう。
病院から最寄りの駅である南彦根までも基本的には歩く。
これも早歩きで約30分だ。
心拍数120回/分程度の早さで歩くのでよい運動になる。

運動をしなくてはいけないと以前から思ってはいた。
しかしなかなかその気になれなかった。
せめて病院から一番遠い駐車場に車を置くことくらいが精一杯だ。
万歩計をつけてみたこともあったが、
1日6000歩程度からなかなか歩数が増えなかった。
もっとも病院内を歩く程度だから、たかがしれている。
結局、もっと歩いてみようという思いにはなれなかった。
万歩計もなくしたのを機に、つけなくなってしまった。

ただ私に革命?を起こした事件があった。
2年半前に運動療法の講演を聴いたときだ。
平坦な道を歩くときと、
階段を上ったり自転車をこいだりするときとでは、
全然違う筋肉を使うことをそのときに初めて知った。
いくら歩いても、階段を上るという運動をしないと足腰は弱るということだ。
これは私にとって衝撃だった。

以来、毎日3階にある医局から8階にある病棟まで
階段を歩いて上ることにした。
これは結構きつい。なかなか大変だ。
だから1日1回のみで、他はエレベーターでOKとしている。
それでも私にとっては、ずいぶんと大きな変化だ。

しかしその後は最近まで大きな変化はなかった。
ところが今年に入ってから何冊か運動に関する本を読んで、
その中のジョンJ.レイディ著、
「脳を鍛えるには運動しかない!」(NHK出版)を読んで衝撃を受けた。

今までは身体を鍛えるために運動をするとばかり思っていたが、
実は、運動は脳にも大きな影響を与えることを知って俄然興味がわいた。
つまり運動により頭がすっきりし、注意力が高まり、やる気が出る。
楽天的に考えられるようになり、夢や希望、ロマンがわいてくる。
不快な感情やマイナス思考を長引かせない。
さらには記憶力や思考力、分析力も向上するという。

もちろん、そうした心への影響だけではない。
ストレスにも強くなり、身体の免疫力も高まる。
例えば、週6回30分歩く程度で
乳がんの再発リスクを5~60%低下させ、
前立腺がんや大腸がん、肺がんなどの予防効果も認められている。
がん患者の治療や再発予防にとても有効な治療法になり得るというわけだ。

また、うつや不安にも効果がある。
例えば、うつに対する運動の効果は、抗うつ剤の効果と同等であり、
再発率では運動群と抗うつ剤群とでは8%と38%と
明らかに運動群の方がうつの再発率は低い。
認知症になる率も、週2回運動していると50%低下するという。

このように運動は身体を鍛えるだけではなく、
思考や感情、ストレス、抑うつ、不安といった心の状態にも影響を及ぼし
さらにはがんといった病気にすら予防や治療効果をもたらす。

このことは、もう少し頭に刺激を与えたいと思っている私にとって、
とても魅力的な事実だ。
同時に、がん患者さんへのお話の題材にもなる。
まさに一石二鳥だ。
いや、身体が鍛えられるということも考えると
一石三鳥といえるかもしれない。

この本に出会ってから、あれほど運動が嫌いだった私が、
積極的に歩くようになってきた。
歩くようになると、もっと歩きたいという衝動に駆られる。
今までは徒歩通勤など、全く考えられないことだった。
それが今は楽しみになっている。人は変われば変わるものだ。
次の段階はランニングやサイクリングを考えている。

かといって、調子に乗ってむやみにどんどん前に進むことはしない。
その気になったときがベストの時だからだ。
その気になるまで待つというのが、私のスタイルだ。
だからしばらくは今のスタイルで行く。これで十分だ。

徒歩通勤を初めてまだ一ヶ月であり、
すぐさま効果を期待するわけではないが、
でも心持ち、気持ちが軽やかな気がする。
ちょっぴり意欲も出てきた気がする。
その証拠に、ブログの更新も月3回になった!?
今後のさらなる変化に期待することにしよう。
(http://holicommu.web.fc2.com/6月30日のブログより転載)

2010年8月2日月曜日

フォーラムからすでに一週間

7月25日のフォーラムからすでに一週間。

日々時間の過ぎるのが早くなってゆくような気がしています。
これが年をとるっていうことでしょうか?(笑)。

私は医師や看護師といった国家資格を持っていません。

しかも、心理学の大家ユング博士のいわれた「人生の正午」、40歳を目前に、唐突にこれまでと違う生き方をしてみようと思いたち、家族の猛反対を押し切り心理学の勉強を始めこの世界に足を踏み入れました。

その学びの中で手に入れたものは本当にたくさんあります。
何より一番大きな気づきは、自分が右脳派…というか、感覚派の人間であるということでした。

それまでの私は、どちらかというと左脳派、論理主義的な人間なのだと思い込んでいました。

AB型の血液型はその傾向にあると、いわゆる血液型占いなどに書かれていたので自分もそうなんだと思い込んでいたんですね。
よく考えてみれば、その占いを信じている時点で、すでに右脳的発想に傾いているということなのですが(笑)。

ですので今回のフォーラムでは、学術的な難しいお話は素晴らしい資格と知識をお持ちの先生方にお任せし、内容的にはわかりやすい言葉で実践経験をまじえたお話と、何よりご参加の皆さまには実際の体験によるご体感を手に入れていただけたらと考えておりました。

初めてのパワーポイントにアリーナタイプの講義室、至らぬ点は多々あったと思いますが、フォーラム後のお問い合わせや個人セッションのご予約など、しっかりと心で感じていただけた方がいらっしゃったことにほっと一息、心より感謝いたしております。

そして、その場を実現することができたのは、やはり普段からお世話になっております運営委員の皆さまのご尽力とご協力のおかげと深謝いたしております。

ありがとうございます!

私の小さな力でできることは限られていますが、一人でも多くの方にご自身にとっての幸せを実現できる力、幸せ実現力を手に入れていただくためのお手伝い、これからも続けてまいりたいと願っております。

こころのヒーリングサロン
セルジュ・フォレスト
清流

2010年7月29日木曜日

映画「Flowers(フラワーズ)」を見て

映画「Flowers(フラワーズ)」を見た。
見ながらよく泣いた。
よく泣きながら、いろいろな思いが出てきた。
そしていろいろ考えた。

この映画は三世代にわたる6人の女性の生き方に焦点が当てられている。
どんな人でも、その人が生を受けるためには必ず両親がいる。
その両親にも、それぞれを生んでくれた両親がいる。
こうして命の絆は脈々と受け継がれていく。
そんな、あまりにも当たり前なことが、この映画を見ていると、
全然当たり前なことではないことに気づかされた。

一人一人がその時代背景や生き方、考え方の違いにより
時には苦悩し、時には喜び、時には後悔もする。
そんな様々な思いの積み重ねの中で、人は生き、愛し、そして死んでいく。
みな、それぞれにその人なりの物語があるのだ。
その物語の中には新しい登場人物も出てくる。
それが、その人の愛する人であり、子どもたちだ。
そして、その人たちにもまた同じように様々なドラマがある。
これが永遠に続くのだ。

私にも両親がいる。
この二人にも、それぞれのいろいろなドラマがあったに違いない。
父親からはよく刑務所生活の話は聞かされたし、
母親は雀荘のママとして働き続けてきた。
きっと私には知り得ない、たくさんのドラマがあるに違いない。

また両親のそれぞれの両親とて同様だ。
戦争、疎開、貧困、暴力、浮気、徘徊等々、断片的な話は聞いたことがあるが、
それ以上のことは知らない。
しかし、平凡ではない物語があることは想像に難くない。

そのようなつながりの中で、今ここに「私」がいる。
小さい頃、父親の母、つまり祖母と一緒に暮らしていた時期があった。
一日中座ってテレビを見て、食事をして、そして寝るといった生活をしていた。
何もせずに一日をボーッと過ごす祖母の姿を見て、
なんてつまらない人なんだと思っていたことを思い出す。
でも、その祖母にも若かりし頃があり、結婚して私の父親も生まれた。
そこにもきっと、様々なドラマがあったに違いない。
そして、私の父親もまた結婚し、私が生まれた。
その私も結婚し、そのつながりは4人の子供たちへと受け継がれている。

普段は、日常の仕事や様々な出来事に振り回され、
目の前のことにしか意識が向かない。
いろいろと迷ったり、落ち込んだり、不快になることも多い。
不平不満もあるし、うまくいかないこともある。
そう言いながらも、何とかその日その日を乗り越えている。

「今」に目を向け、そこに一生懸命取り組むことは大切だ。
困難に出くわしても、それに面と向かって立ち向かっていくしかない。
しかし、そのようなつらい日々に目を奪われてしまうと、
時として、いったい自分は何をしているんだろうか、
という思いにさいなまれることがある。

でもこの映画を見て思った。
思うようにいかない現実にぶつかると、つい自分を中心に物事を考え、
悶々としている自分がそこにいるが、
その自分も実は、綿々と連なる命の歴史の1ページに刻まれ、
そのつながりの中で、生かされている存在なのだと。
時代や状況によって、苦悩や困難の中身は異なるかもしれない。
でも、それを乗り越えるべく、各々がそれぞれの立場でがんばってきたのだ。
そしてまた、自分もその歴史の中の一人として、今、生きているのだ。

今まで続いてきた命のつながりと、
これからも続くであろう命のつながりを結びつける
とても大切な存在が、今の自分なのだ。
そのような命の歴史の一端を担っている貴重な存在だと思えたとき
目の前の困難や人生の不条理にも立ち向かえる勇気と希望がもらえる気がした。
(http://holicommu.web.fc2.com/6月17日のブログより転載)