2010年7月29日木曜日

映画「Flowers(フラワーズ)」を見て

映画「Flowers(フラワーズ)」を見た。
見ながらよく泣いた。
よく泣きながら、いろいろな思いが出てきた。
そしていろいろ考えた。

この映画は三世代にわたる6人の女性の生き方に焦点が当てられている。
どんな人でも、その人が生を受けるためには必ず両親がいる。
その両親にも、それぞれを生んでくれた両親がいる。
こうして命の絆は脈々と受け継がれていく。
そんな、あまりにも当たり前なことが、この映画を見ていると、
全然当たり前なことではないことに気づかされた。

一人一人がその時代背景や生き方、考え方の違いにより
時には苦悩し、時には喜び、時には後悔もする。
そんな様々な思いの積み重ねの中で、人は生き、愛し、そして死んでいく。
みな、それぞれにその人なりの物語があるのだ。
その物語の中には新しい登場人物も出てくる。
それが、その人の愛する人であり、子どもたちだ。
そして、その人たちにもまた同じように様々なドラマがある。
これが永遠に続くのだ。

私にも両親がいる。
この二人にも、それぞれのいろいろなドラマがあったに違いない。
父親からはよく刑務所生活の話は聞かされたし、
母親は雀荘のママとして働き続けてきた。
きっと私には知り得ない、たくさんのドラマがあるに違いない。

また両親のそれぞれの両親とて同様だ。
戦争、疎開、貧困、暴力、浮気、徘徊等々、断片的な話は聞いたことがあるが、
それ以上のことは知らない。
しかし、平凡ではない物語があることは想像に難くない。

そのようなつながりの中で、今ここに「私」がいる。
小さい頃、父親の母、つまり祖母と一緒に暮らしていた時期があった。
一日中座ってテレビを見て、食事をして、そして寝るといった生活をしていた。
何もせずに一日をボーッと過ごす祖母の姿を見て、
なんてつまらない人なんだと思っていたことを思い出す。
でも、その祖母にも若かりし頃があり、結婚して私の父親も生まれた。
そこにもきっと、様々なドラマがあったに違いない。
そして、私の父親もまた結婚し、私が生まれた。
その私も結婚し、そのつながりは4人の子供たちへと受け継がれている。

普段は、日常の仕事や様々な出来事に振り回され、
目の前のことにしか意識が向かない。
いろいろと迷ったり、落ち込んだり、不快になることも多い。
不平不満もあるし、うまくいかないこともある。
そう言いながらも、何とかその日その日を乗り越えている。

「今」に目を向け、そこに一生懸命取り組むことは大切だ。
困難に出くわしても、それに面と向かって立ち向かっていくしかない。
しかし、そのようなつらい日々に目を奪われてしまうと、
時として、いったい自分は何をしているんだろうか、
という思いにさいなまれることがある。

でもこの映画を見て思った。
思うようにいかない現実にぶつかると、つい自分を中心に物事を考え、
悶々としている自分がそこにいるが、
その自分も実は、綿々と連なる命の歴史の1ページに刻まれ、
そのつながりの中で、生かされている存在なのだと。
時代や状況によって、苦悩や困難の中身は異なるかもしれない。
でも、それを乗り越えるべく、各々がそれぞれの立場でがんばってきたのだ。
そしてまた、自分もその歴史の中の一人として、今、生きているのだ。

今まで続いてきた命のつながりと、
これからも続くであろう命のつながりを結びつける
とても大切な存在が、今の自分なのだ。
そのような命の歴史の一端を担っている貴重な存在だと思えたとき
目の前の困難や人生の不条理にも立ち向かえる勇気と希望がもらえる気がした。
http://holicommu.web.fc2.com/6月17日のブログより転載)

2010年7月22日木曜日

復活、犬の骨折


「もう、だめかもしれない。天に任せるしかない。」
そう思った。

7月15日、出がけにまた犬の足が腫れているのに気付いた。骨折を金属プレートでつないだ傷の感染で、もう何度繰り返したかわからない。いつもの膿の出口はまだ閉じている。でも、対応は早い方が良いので、針でつついて液を出す。
まだ、膿ではない。いつもと少し違う。
化膿しきっていないのだ。

「これから、まだ悪くなるかも」直観的にそう思う。
普通は、化膿して膿がひどいと激しい炎症と思いがちだが、化膿しているということは、実は体の自然治癒力である白血球が働いている証拠で、本当は悪いことではない。
むしろ化膿する前のほうが、治癒力が弱っていて病勢が進行している時なのだ。

午後、携帯電話の留守電に悲痛な声が入る。
「蘭ちゃんの・・・様子がおかしいので・・・獣医さんに・・・行きます・・・」
直ちに、大雨の中、箕面の永田動物病院へ。
(こんど11月のフォーラムで講演して頂く先生です)
例によって、傷を洗浄して処置し、帰宅。
だが、いつもと違う。
元気がない。反応がない。ぐたっとしている。

翌日の夕方も再び動物病院へ。
熱が高い。考えてみれば、オシッコがずっと出ていない。(歩けないのでオムツをしているから、かえって尿量がよくわかる)
脱水か? 敗血症を起こしている可能性が高い。 腎不全か?
18Gの太い針を、皮下に刺して、300ccほど点滴をして帰宅。

夜中は、か細い息でひたすら寝ている。
水分を取らせるために、注射器で水を口元に垂らしてやるとかろうじて飲む。
17日からの出張予定をキャンセルし、動物病院へ通う。
回復のきざしはない。
梅雨明けで炎天下の18日も車で犬を運ぶ。
暑すぎる。かえって脱水がひどくなる。体温40度。

4日間わずかの水とジュースくらいしかとっていない。食物は受け付けない。
目に力がない。
夜中にのぞいて。「ああ呼吸してる」と安心する状態が何日も続いている。

かぼそい呼吸をじっと見ていると、14年間の楽しかった思い出が甦って、涙が出てくる。
いつかは、来ることだ。
悔いは残すまい、と注射器で水を口元に垂らす。

19日は獣医さんは休診日。体温を上げないよう、エアコンをつけっぱなしですごす。
水を垂らすと飲む。
特性の玄米+ニンジン+リンゴのスープを垂らす。
少しずつ飲む。が、あとはひたすら寝ている。

そして夕方。
顔を上げた。
ためしに、ベビーボーロをあげてみると、がつがつと食べ始めた!!
もうちょっと! と、やわらかいドッグフードをやるとこれも食べる。玄米粥も食べる。
力が戻ってきた。

あきらめてはいけない。そう思う。
何故かわからない。何が効いたのかはわからない。
言えるのは、自然治癒力がまだあったということだけである。

この話が人間だとどうなるのだろう?
「気力で死線を乗り越えた」とか、「介護者の愛の力が勝った」とか、そんな評価になるのだろうか?

犬に「何が何でも生きてゆこうとする気力があった」とは思いにくい。
飼い主としては、「精いっぱいやった」という思いはあるが、「愛の力で命を救った」などと思い上がる気もない。
心の力は確かにあるのかもしれないが、それがどこまで影響したのかはわからない。

いのちの力に感謝し、甦ったことを素直に喜びたい。

愛場庸雅

2010年7月12日月曜日

心の変遷

私はあまり「感謝」が好きではなかった。
と言っても、実は高校や大学時代はよく感謝していた。
嫌なことがあっても、感謝が大切だと思い感謝をしていた。
昔から自己啓発や成功哲学の本が好きで
それらには必ず感謝の大切さが書いてあったからだ。

しかし30代の頃から状況が変わった。
いつしか「感謝しなければならない」に変わっていたのだ。
嫌なことがあっても、辛いことがあっても
感謝するというのはとても大切な姿勢だが、
それがいつしか義務感になり、心の足かせになってきた。

今まで理想論を掲げ、それなりに努力をしてきたつもりだったが
どこか自分では無理をしているという思いがぬぐい去れなかった。
そんなあるとき、ふと思った。もう理想論は捨てよう、と。
何にも縛られずに、もっと自由に生きようと、そう思い立ったのだ。

それからは毎年やっていた「今年の目標」を立てることもやめてしまった。
やりたいと思ったものを、やりたいときにやる。
やりたくなかったらやらない。
すべて自然に流れに任そうと思ったのだ。

それから自分の流れが変わったように思う。
もともと心理療法に興味があった私は、それにのめり込んだ。
色々な本を読み、様々な方法を学んでいった。
それをすぐさま患者さんに試していた。それが楽しかった。
余計なことは考えず、毎日を楽しんでいた。

そのうち自然と本を書かないかという話が舞い込んできた。
39歳に時に書いた「人は自分を癒す力を持っている」がそれだ。
43歳で緩和ケアに移ったが、それも降ってわいたような話だった。
すべて流れに身を任せていたら、自然とそうなったのだ。

そんなこともあり、感謝が大切!不平不満を言ってはいけない!といった、
当たり前なことに、反発心を感じていた。
ありがたくもないことに感謝する必要なんかない!
不平不満があれば言ったって良いではないか!
理想論だけでは人は生きていけない!
もっと自由に生きていればいいんだ!
この20年はそんな思いでずっと生きてきた。
理想論を求めていた自分への反動だったのかもしれない。

そんな自分にも転機が訪れた。
緩和ケア病棟に移ってきてからは、何かと問題が出てきたのだ。
もともと楽観的な私はあまりストレスを感じたことがなかった。
心療内科時代はほとんど怒った経験もなかった。いつも穏やかだった。
それが緩和に来てから状況が大きく変わった。
ストレスに感じることも多く、しばしばムッとくるようになったのだ。
白髪が一気に増えたのも、そのせいだったのかもしれない。

ほとんど一人で動いていた心療内科時代とは異なり、
緩和ケアに来てからは様々な人たちと関わるようになった。
当然のことながら、意見の相違が出てくる。
患者さんに対しては「それでいいですよ」と言えるが、
自分と意見の対立している人にはそうは言えない。
嫌なことは嫌なのだ。そこには感情も関与していた。

周囲にいる人が、必ずしもいい人ばかりとは限らない。
組織の中にいれば当然のことだ。不平不満も出てくる。
「人は自分の心の鏡」とか「苦難は自分を高めるチャンス」と思ってみても
自分は聖人君子なんかではない!という思いが顔を出す。
「そんなことができたら、とっくのとうにやっている!」
「それができないからみんな苦労しているんだ!」
私が講演でいつも言っている言葉だが、
それが自分への慰めにもなっていた。

しかしそんな状態が7年も続くと
さすがに自然の流れにまかすだけの生き方に限界を感じてきた。
何とかしなくては、という思いが強くなってきたのだ。
自らが動き出さないことには、どうにもならないと思うようになってきた。
人を変えようとしても、変わらないことはよくわかっている。
自分が変わる以外どうしようもないこともわかっている。

2年前からホリスティックコミュニケーション実践セミナーをはじめ、
問題を解決するためにはどうしたらよいのかということについて、
いろいろな話をしたり実習やデモをしたりして教えているのだが、
それらをやりながら、知らず知らずのうちに
自分自身の問題解決にも思いを巡らせていた。
問題を解決するための大切なポイントのひとつに
大きな変化ではなく「ほんの小さな第一歩」が重要、というのがある。

次第に私は、今の自分を変えるためにできる
ほんの小さな第一歩は何だろうかと考えるようになった。
嫌だと思う人に、優しい言葉をかけるなんてとてもできない。
大きな声で挨拶をする、というのも私には合わない。
ありがとうと、と言葉に出して言うというのも恥ずかしい。

どんなことならできるのだろうかと、あれこれ考えているうちに
内気な私にとって、人に何かをしてあげるというのはどうも苦手だが
自分の中で何かを思うというのならできそうだと思った。
そこで行き着いたのが、私の嫌いだった「感謝」だったのだ。

最近色々な本を読んでいるが
佐藤富雄さんも西田文郎さんも小林正観さんも
みなさん「感謝」の重要性を説いている。
感謝の思いが持てるようになれば、ものの見え方が変わってくる。
ものの見え方が変わってくれば、自分の行動も変わってくる。
自分の行動が変われば、周りの状況も必ず変わる。

佐藤さんらが提案している感謝ノートもとてもよいと思ったが、
私は、自分にできるほんの小さな最初の一歩は
まず「感謝するふりをする」ということに決めた。
本気で感謝しなくても「ふり」でよいわけだ。
それも心の中で思うだけでよい。
これならできそうだと思った。

でも、自分の人生を振り返ってみると
最初は理想論から出発し、
次に思うがままの自由な生き方に自分を見いだし、
再び、感謝などという理想論的な道を選択し始めた。
でも学生の頃に思っていた感謝の思いと、
今感じている感謝の思いは明らかに違う気がする。

やはりものごとは、一方向的な考えだけではうまくいかないと思った。
相反する両者を経験してこそ、その時に必要な対応ができるようになるのだ。
西洋医学と代替医療の関係にも似ている気がする。
両者のよさを知ってこそ、本当の意味での医療ができるのだ。

私はまだ自由さと理想論との融合ができているわけではないが、
少なくともその両者は経験している。
今後はもう少し自分を見つめながら、
真の融合ができることを夢見て前に進んでいきたいと思っている。
あくまでも自然の流れに乗りつつ、
でもちょっぴりだけがんばってみことにする。
(http://holicommu.blog84.fc2.com/の3月26日記事を転載)