2010年12月28日火曜日

祈り


22年ももうすぐ終わろうとしています。
今年一年泣いた人、笑った人それぞれに思いはあったと思う。

私はあんまり球技には縁が無いが、テレビは結構楽しみながら見る。

特にどこのファンと言うことは無いがその時の情況で楽しんでいる。
サッカーもワールドカップの様な大きなイベントが有ったら見る。

正月の全国高校ラグビーとかサッカーは毎年見ている。
特にラグビーは母校が常連校なので優勝をすると「やったー」と思う。


球技の特徴は自分の体から球が離れていくところに着目している。

手を使うにしろ道具を使うにしろ、
手から離れた後は「運を天に任す」と表現できるのではないかと思う。

それと比べ格闘技は、自分の手なり道具なりを、相手にコンタクトさせるのが目的である。

逆に球技は、相手にコンタクトされない様に工夫すると言っても過言ではない。


よくバスケットのドラマや漫画で後残り時間1秒でシュートが放たれ、
ボールが飛んでる間にタイムアップになるが、
有効時間内に放たれたシュートは得点になるという場面だ。
(これをブザービートと言うらしい。テレビの番組で知った。)

みんなが固唾を呑んで見守っている。

味方は入れと願うし、相手方は外れろと願うだろう。

そして結果が出て終わりと言うパターンがある。


野球にしても最初「入らないかなぁ」と思った打球が、
風に乗って逆転ホームランという劇画さながらの場面も少なくは無い。


日本人は雑宗教といわれている。

結婚式は教会で挙げて、子供が生まれたら一ケ月目には、
お宮参りにと神社に詣で、死んだらお寺でお葬式。

普段、神仏を信じない人でもいざという時には「神様仏様」とお願いする始末だ。


きっと「ホームランになれ!」っとお祈りしているのだろう。
もちろんこれは悪いことではない。

「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉もある。

体から離れた球には祈るしかないのだ。

そして私たち人間には見えない大きな力が働く事がある。

それは一生懸やった人へのご褒美だろうか。


手から離れる球技は離れる瞬間、
物(道具)に意識が乗り移るのだろう。

そうい事は十分に考えられる。

実際には手を離れる時の力具合や角度、
初速のスピードなどの集合体としての結果であろうが・・・。

「一球入魂」と言う言葉が有るではないか、
そう考えた方が日本チックでいいようだ。

しかし外国にもこんな考え方はあるように思う。


整体はタッチングのセラピーであるから、
コンタクトの格闘技と近い。

「整体格闘技論」である。

ある側面では言えてると思う。

相手が要ることだし、相手の状態や、相手との関係性を常に考えるし。

手を当てる場所(攻撃部位)、
角度、スピード、タイミング、力加減を工夫する。

ただ目的が治癒と破壊の違いがあるが・・・。


クライアントとのセッションの最中に思うことは、
クライアントが思うその人の価値観での健康である。

ややこしい言い回しだが、こちらが思う健康の価値観と、
クライアントの思う健康の価値観は必ずしも一致しない。

なりたい自分をイメージしてもらう、
押し付けはしない。

人それぞれ人生が違うように価値観は違う。

健康の価値観は違うのだ。


整体格闘議論を展開したが、
別方向から見ると「整体球技論」も展開できる。

さっき言ったように球技は自分の手を離れた瞬間から、
お任せである。

整体も最善の関わり合いさせていただいた後は、
その人の自然治癒力にお任せである。

その時、球技のようにやっぱり心をはこぶ。

これは「祈り」であると思う。

「精一杯させていただきました。

後は大自然の大いなる力にお任せします」そんな心境である。


人が人を操作するなどという大それたことは考えていない。

ただその人の自然治癒力が最大限に発揮できるように、
準備を整えさせていただき、
呼び水を少し注がせていただく感じである。

それで喜んでいただけるなら幸せである。

そんな整体がしたい。


健康塾真愈整体学院 岡田